その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

親の思う通り

 親。ほとんどの人には親がいる。家族にはそれぞれの形があるから、一概には言えない。親がいる人には、頼れる存在で時々煩わしい存在が親ということが分かるのではないだろうか。自分は、反抗期がなかったため煩わしいと思ったことはないが、周りを見ていて「鬱陶しい」と思っている人間がいることは分かっていた。あ、反抗期がなかったことを誇りに思っているのではない。逆に反抗期がなかったことに不安を抱いている部分もあるくらいだ。

 

 親からすれば子は宝だ。自分に子どもはいないが、自分の両親を見ていれば分かる。本当にわが身を捨ててでも守りたい存在なのだと。今の時代、我が子を自らの手でこの世から消し去る現実世界でありえることなのか疑いを隠せない事件が多発しているため、自分はつくづくありがたい家庭で産まれ育てられたと思うのである。自分の親も、それなりに自分に期待して夢も抱いていただろう。この世に思い通りに子どもを育てられる親が何人いるのだろう…。

 

 はっきり言って自分は、親の期待を裏切り続けたきた人間である。それでも、親は応援し続けてくれている。感謝している。「一流の大学を出て、給料の高い会社で勤めて欲しい」なんて夢を抱いていたのかな。ここまでは思っていなくても、それなりに期待はしていただろう。たくさんお金も使わせてもらったし、わがままも通してきた。親の思うとおりに、お尻を引っ叩かれてレールを敷かれてその上を渋々歩いてきたという人もきっといるだろう。そんな人たちの人生は想像を絶するものだと思う。

 

 自分は四年制大学を卒業している。自分では「だから何だ?」と思っている。でも、母は短大を出ていることもあるのか、「四年制大学を出て欲しい」と小学生の頃から言われていた。きっと短大出身で困ったことや嫌なことを言われた経験があるのだろう。自分は、たまたま大学へ進学することにしたが、教員を目指していなかったら大学へ行っていたかは分からない。大学に魅力を特に感じない。「人生の夏休み」と呼ばれる意味も分からない。大学なんて自分が研究したい分野と向き合ったり、自分みたく教員免許を取るために勉強したりする場所である。将来のことを考えながら生きなければいけない、忙しい4年間である。確かに、バイトをして親元を離れて自由なお金を手にして時間を好きに使える。それにも自分は、魅力を感じない。高校を出るだけでやりたい仕事が見つかっていれば、大学へは通っていないだろう。やりたくないことを高いお金を使ってやる必要はない。将来の給料が変わってくるのも確か。それでも、そこそこに稼げて食べていくに困らないレベルの職ならそちらに飛びついていたと思う。

 

 だから、母とは「とても揉めていただろうな」と今でも考えることがある。学歴社会というのは古いと自分は思っているが、そういう社会から変化しきれていない部分も分かっている。専門学校も高校卒業してすぐ働くこともありなのではないかと自分は思う。これが、親への裏切りなのだと思うが、親の思う通りではなく自分の思うように人生を歩めていることに感謝したい。