その辺にいる社会人2年生(24)

社会人2年目のブログです。

二世の気持ち

 親と同じ世界に飛び込むことは怖い。それなりの覚悟が必要である。親はそんなことは全く思っていない。しかし、自分は親と同じ世界に飛び込んだ。自分なりに腹を括って飛び込んだが、それはそれは親と同じ世界に飛び込んだら飛び込んだら思うことはたくさんある。言ってしまえばおこがましいのだが、芸能人の二世タレントの皆さんや二世と呼ばれるスポーツ選手と同じ気持ちを抱いているのかもしれないと思っている。もちろんメリットもあればデメリットもあるのだ。

 

 自分の親が教師であるということは幼稚園生の頃に分かっていたと思う。「お父さんって何の仕事をしているの?」と聞かれることがあったが、「学校の先生」と答えていた。ちなみに父は中学校で教員をしており、母は元養護教諭である。両親ともに教育現場を知っている者だ。小学校へ入学してまもない頃、担任の先生に「〇〇先生の子どもさん?」といったように声をかけられた。でも、自分はひねくれていたため「そうだけど、だから何だ?」と返した記憶がある。今思えば、酷いことをしたと思う。学校の先生の子どもは無条件に特別扱いをされて贔屓される存在なのだと、どこかで勝手に思っていた。お高く留まっていたのだろう。偉そうに生意気な態度を取ってしまい申し訳ない。しかし、先生たちは自分に対してとても気を遣ってくれていた。自分は何でもないし、百歩譲って親にお世話になっているという気持ちがあったにしろ自分は全く関係ないことである。気を遣う必要はない。一生徒として接するのが当然であると思う。しかし、どの先生にしてもそういう態度であった。

 

 そして、母にも「公立学校に通っている限りいろんな先生に知られている。パパの顔に泥を塗らないように」と釘を刺されていた。「何で自分の人生を親の職業に左右されなければいけない?」とこれまた生意気にも思っていた。しかし、「〇〇先生の子どもなのに」と言われてしまっては、確かに父の立場はない。だから、いい子でいようと無意識に決めていたのかもしれない。そんな嫌なプレッシャーが常にあった。

 

 でも、メリットだってある。自分は教師を目指している。いわゆる「コネ入社」はないが、本当にたくさんのことを教えてもらえる。教員採用試験のことや教師の仕事内容について、そして学校現場の現況など様々である。単純にありがたい。あれだけ学校の先生のことを嫌っていた自分が今では教師を目指し、教師以外はないとすら思っているこんな未来は誰も想像できなかったと思う。もちろん自分もである。大学生になってからも学習会のような場所に連れて行ってもらえたり、学校現場でしかもらえないような資料を見せてもらえたり、勉強になったと思っている。

 

 二世の気持ちなんて一言で表すのなら、「複雑」である。やはり学生時代は大変な気がするが、自分のように親と同じ道を歩んでいる人にとっては誇りに変わる。ぶっちゃけ自分の妹はどう思っているか分からない。メリットを感じられていないかもしれない。それでも、教師とはいつの時代も必要不可欠な存在である。父と同じことができるわけではない。きっと父の顔に泥を塗るだろう。でも、自分も教師であるという誇りは忘れずに堂々とありたい。