その辺にいる社会人2年生(24)

社会人2年目のブログです。

2024年2月を振り返って

 超多忙な1月を経て、2月を迎えた。逃げるの2月。本当に一瞬で過ぎていった。自宅学習日や代休、祝日が多く登校日が少なかった。それもあって、すぐに終わっていった2月。子どもたちは、現場実習が終わりホッとしていた。もちろん教員側も(笑)でも、評価は様々だった。ほとんどが期待通りの評価で帰ってきた。学校でできていることを、外でも発揮できていた。もちろん、逆も然り。慣れた場所でしか力を出せない子どももいて、まだ就労についての準備ができていないことが分かった。でも、大体は学校でできていないことは外へ出ても当然できない。それは子どもたちも分かったのではないかと思われる。スポーツもそう。練習でできていないことは、試合でもできっこない。そういうものだ。(運とか奇跡とかそんな話とは別の話)

 

 ホッと一息ついたところで振り返りも行った。「実習に行く前の気持ちは?」「得意な作業と苦手な作業は何だった?」「今後の課題は?」などとかなり丁寧に振り返りと報告会を終えた。あの子たちはすごい。しっかりとこちらが意図した通りに振り返ってくれた。2年次での現場実習に繋がりそうな振り返りができた。

 

 先月。学年団に異動のことを伝えた。その時とても寂しがってくれた。「何で異動せないかんのんか」とまでに言ってくれた。単純に嬉しかった。それで、地元に牡蠣を食べに遊びにきてくれることになった。平日の自宅学習日を使って、みんなでドライブで行こうと言ってくれたのだ。そんな幸せなことがあっていいのかと思うほどに、嬉しかった。2月はそんな楽しいこともあった。車中もとても楽しくて、「この時間がずっと続けばいいのに」なんて考えてしまった。段々と一緒に過ごせる時間が少なくなってきている事実から、目を背けたい。が、別れの日は着実に一日一日近づいている。どう考えてもやっぱり寂しい。

 

 後一ヶ月、とにかく悔いのないように過ごしたい。子どもたちも2年になる準備を意識し始めている。どんな締め括りができるかな。

妹に居場所

 人は、居場所がないと生きていけない。生きていけないというのは語弊があるかもしれないが、極端に言うと呼吸はできる。「心に余裕をもって」生きていけないのだ。

 

 遂に妹も居場所と呼べる場所に出会えた。22歳にして喜ばしい出来事だ。個人的には「ちょっと遅くて可哀想だ」と思わなくもない。それは、自分が人に恵まれた人生を歩んできたからだろう。それもある。学生時代に、チームプレーのよさとか人の温かさを知れたからこそ今があると思うし、妹は妹でやっと出会えた居場所に感謝しまくるだろう。感情を表にあまり出さないから、そんな風には見えないんだろうけど。

 

 やっと居場所を見つけたということで、妹からかなり話を聞くようになった。子どもの頃から、自分自身のことについて話すことはほとんどなかった。「そういう性格なんかなあ」とか「話したいと思えることがないんかなあ」と思っていた。自分とは真逆だからずっと疑問だった。真相は分からないが、今はこのコミュニティのことになると意気揚々と話す。これにも驚いた。「本当に人生が変わったんだなあ」と嬉しかった。友だちとか仲間ってある人にとっては別にいなくてもいい存在なのかもしれないけど、自分はそういうのは寂しいと思ってしまうタイプ。だから、妹にもそういう存在ができたら、また違った人生が開けるのではないかと思っていた。すると、予想は見事的中。妹は今、本当に楽しそう。居場所を見つけた顔をしている。

 

 妹は大学4年。来月には大学を卒業する。それに伴って引っ越しをする。その準備の手伝いに一昨日と昨日は時間を費やした。その引っ越し先に、一人特にそのコミュニティでお世話になっている人が来てくれていた。そんなわざわざ大事な休みの日を使ってくれたことがありがたくて、今日挨拶に行ってきた。突然のことで驚かれたが、やっと手に入れた妹の居場所だ、いろいろとお願いをしておきたかった。これは兄弟として当然の気持ちだと思う。妹を応援してくれる人が多ければ多いほど、ありがたい。だからこそ、感謝の気持ちも改めて伝えたかったし。一度、ご丁寧に初めてお会いしてからポストカードをいただいたのだけど。自分もそのポストカードをいただけたことがとても嬉しくて、心の優しい方とお付き合いできている妹のことを少しだけ、安心できた。他力本願的な考え方かもしれないけど。

 

 とにかく、いい人たちに囲まれて妹幸せそうだ。人の温かさに触れるってきっとそういうこと。今なら、妹も自分が言っていたことが分かるかもしれない。分かっても、意地があるから認めないだろうけど。そんなことはいいのだ。妹が人と関わりを持つことに積極的になったことが嬉しかった。これからも末長く居場所を大事にして欲しい。

 

家庭教師のバイトをしていた頃の話

 「学生の頃、何のバイトしてましたか?」みたいな質問って結構あるよね。個人的にはあんまり言いたくない。家庭教師のバイトなんてお高くとまってるイメージがある。自分もぶっちゃけそう思ってたもんな。賢い人がやるバイトやとか疲れなさそうな省エネで済むような仕事やなとか。でも、田舎ってこともあってたくさん店があるような環境でもなかった。

 

 自分は大学1年の秋からバイトを始めたけど、バイト探してる時は早起きが別に苦じゃないから、新聞配達もええかなあなんてふわっと思ってた。でも、せっかくなら将来やりたいと思ってる仕事に直結してプラスになることをやりたいと思ってたから、結局家庭教師に決めた。掛け持ちとかっていう概念はないし、やめるという選択肢もない。だから、始めたら大学を卒業するまでバイトは家庭教師。

 

 19歳で子どもの勉強の面倒を見る。不安だったけど、とにかく自分で決めたこと、やるっきゃない。結論、とても勉強になった。小学生で既に勉強に躓いている子。発達障害があってまずは学校に安定して通うことが課題である子。そもそも勉強にやる気を見出せない子。自分は自分で言うのも何だが、小学生の頃は公立の学校だったし割とエリートだった。だから、正直あまり小学生の躓きに共感できない。経験がないから。想像上での理解以上のことはできないのだ。これを聞いてもらった分かった人も多いだろうが、超難関校に合格させることや大学受験に向けての勉強を見ることなどのレベルが高いことをしていたわけではない。学校の勉強についていけない小学生や定期テストで一桁をとってしまう中学生に勉強を教えていた。これなら自分の学力でも面倒が見れた。中学生の頃、ほとんど勉強していなかったと自分で思っていたが、それなりにはやっていたことも分かった。

 

 4年間で10人の子どもを見させてもらった。もちろん、誰一人として全く同じ子どもはいなかった。特に記憶に残っている生徒についてここでは振り返らせてもらおうと思う。その子との出会いは大学1年の秋。自分にとって初めて受け持った生徒だった。その生徒は13歳男子。自分が卒業した中高一貫校の姉妹校に通っていた。サッカー部で友だちも多かったが、なぜか学校に行けない。世間的には、不登校と呼ばれる部類。家族構成は、父と母、そして4歳下の妹。両親に尻を叩かれて中学受験をしたことは何となく気づいた。そして、発達障害があったかもと今では思う。この子とは、週に1回の約束で契約していた。1日120分。休憩には、いつも美味しいスイーツ。晩御飯を弁当にして持たせてくれる日が多かった。一人暮らしをしてる自分にとっては、本当にありがたかった。保護者にもとてもよくしてもらった家庭だった。私学の中高一貫校に通っていて、定期テストで10点台がアベレージというのは、本人も辛い。でも、両親がそれを無理やり押し込めてしまったから本人はしんどかったんだろうと思う。まず学校に行けない日の方が多く、行けていても原因はなくピタリとまた行けなくなる。学校に行かなくなったことがない自分からしたら、不思議でしかない。学校に行けなくても、家庭教師はそのまま呼ばれた日もあった。「話だけでもしてやって欲しい」と言われた。正直、契約違反並みのことかもしれないが、自分はそんなのどうでも良かった。だって、数学のテストが全く理解できなくても死なないし違う生き方があると思っていたから。そりゃ親としては不安でしかないと思う。でも、まず勉強ができるできない云々は二の次、三の次だと思うんだよな。

 

 120分話した日もあった。保護者も交えて自分の意見を言わせてもらったこともあった。中高一貫校に通っていた自分のことを何となく頼りにしてくれていたのかな。それは嬉しかった。家庭教師をやっていた時は、センターを通して生徒さんを紹介してもらっていた。そのセンターを大学4年の夏前に辞めた。そこを辞める時に、「個人的にまた来てもらうことはできませんか?」と連絡が来た。そのやり取りで連絡は終わっていたことをふとLINEを見ていて気づいた。そのステータスメッセージに、「もう18歳か〜」と書かれていて、自分も鳥肌が立った。そんなに年月が経ったのかと。もう高校を卒業か。大学受験したのかな。まだ受験勉強中かな。それとも、働くのかな。専門学校?どんな選択をしたのだろう。そして、どんな青年になっているのだろう。そして、妹も中学受験をすると言って、勉強を教えていたこともあった。中学受験はしたのだろうか。もししていたら、合格したのだろうか。彼女も14、5歳になっている頃だ。子どもの成長ってすごいなあ。一瞬だ。

 

 ふと家庭教師をしていた頃のことを思い出した。どの子も個性的で出会えてよかった。どの子も懐いてくれて、可愛かった。みんなどんな道を歩いているんだろう。気になるなあ。

今の正直な気持ち

 久しぶりに長くなりそうな気がする。それだけ思うことがあんねんなあ、きっと。一つ前の記事を読んでもらったら分かると思うけど、この記事では異動の話をしていく。

 

 突然って前の記事では書いたけど、薄々気づいてはいた。ブログでも書いたけど、「嫌な予感」が当たってしまった。簡潔に言うと、地元に近いところで勤務になり実家に戻れる。これが目標だったから、素直に嬉しい。でも、今の職場が好きだし先生たちも好き。子どもたちの成長もまだまだ見ていたい。そして、地元に帰る時は「試験に受かってからがいい」と思っていたから、手放しで喜べなかった。(もちろん嬉しいんだけどね)

 

 トップのお偉いさんに呼ばれて、異動のことについて聞かされた。「こんな話があるけど、どうですか?」と言われたから、「今の職場にはいられないってことですか?」と正直に聞いた。そしたら、そういうことらしかったから、潔く去ろうと覚悟が決まった。

 

 「環境を変えて、今年度も試験に挑んで欲しい」と言われた。確かに、今の職場は先生も子どもの数も少ない。子どもたちの特性も軽度。勉強になるかと言われれば、率直に首を縦には振れないかな。まだ2年目で勉強になることがたくさんあったと個人的には思うが、確かに特殊な入りだった。「メインというか基礎的なところを勉強して試験の対策をしてもらいたい」というありがたい思いも伝えてただいた。

 

 そして、早々に来年度の勤務校のトップのお偉いさんに会いに行ってきた。学校が綺麗なことに感動しながら、校舎へ入った。いろいろと話をさせてもらって、とりあえず来年度から働けることに決まった。(ありがとうございます!)

 

 それにしても、こんなに早くこの時が来るなんて思ってもみなかった。だって、まだ2年だ。この地を去るのは、アラサーになってからでもいいかなと思っていたけど、早すぎたな。それが衝撃。せっかく、こちらに出てきて一人暮らしも継続したのにって思いももちろんある。それに、なんといっても、こちらでの出会いに心残りがある。

 

 社会人がスタートする前、本当に緊張した。「どんな人と仕事をすることになるんかなあ」とか「仕事するってどんな感じなんかなあ」とかって思ってたけど、そんな心配いらんくらい周りの人たちに恵まれて、楽しい日々を過ごさせてもらった。そんな周りの人たちと離れるのは、辛いし寂しい。こんな年下のことを可愛がってくれた先生方に感謝しかない。

 

 家族のような学年団には、正式に伝えた。とても寂しがってくれた。驚いていた。来年度の子どもたちのクラス編成や修学旅行について話をした会議の後に、言いにくかったが、言わないで後2ヶ月を過ごす方がもっとしんどいと思った。だから、思い切って伝えた。まだまだ一緒に仕事をしたい。でも、同じ学年団でなければ意味はない。そう思い、0か100理論で考えると、あまり辛くなくなった。新たな挑戦ができる喜びも感じている。

 

 わざわざ地元を離れ、培ってきたものを発揮して新たな環境で頑張れたらと今は思っている。後2ヶ月でどんな思い出たちができるだろう。悔いなく過ごす。

2024年1月を振り返って

 新年明けてから、もう1ヶ月が経とうとしている。こんな調子で時間が過ぎていくのだから、すぐに年をとるのも無理はない。3学期。現段階で、今年度の残りの登校日は33日となり本当に驚いている。一瞬で過ぎ去っていく。「毎日一日一日大事にしないとなあ」って常々思う。

 

 子どもたちは2週間の冬休みを経て、始業式元気に登校してきた。2学期終了間近から3学期には実習や職能があることを意識させ、心構えが薄まらないように冬休みに突入させたつもりだったが、やはり気が緩んでいる部分も多少あった。それは人間だから、仕方ないという見方もできる。

 

 そして、順番に校外での進路活動が始まった。初めてのことで、無事に終わるまでは気が気じゃなかった。でも、巡回に行ってくださる先生から報告を聞くと、よくやっているそうでホッとしていた。「やはり力があるのだな」と改めて思った。可能性は無限大だと。でも逆に、学校で見ている課題や直していかなければいけないことを企業でも指摘をされていた。いつも学校で言われていることを、校外でも言われたらいい意味でまた違った入り方をしていると思われる。第三者に言われる経験を積むというのも大事である。

 

 体力的にもよく頑張った。それ以降の通常の学校での生活も不安定になることもなく頑張れた。1年でそれができることが素晴らしい。のびしろしかない。

 

 超多忙な1月を過ごしてきたのだが、子どもたちがきちんと期待に応えてくれるため、やりがいも感じられていつも通り楽しく仕事ができていた。もちろん先生方ともワイワイとやれて楽しい時間を過ごせていた。そんな中、知らせは突然届いた。

 

 単刀直入に言うと、異動が決まった。今勤務している地域での異動は覚悟していたが、まさかこんなに早く地元に帰してくれるなんて(笑)これだから人生はおもしろい(笑)それにしても、今担任している子どもたちとの将来なんて考えちゃったりして、家族みたいに一緒に働いている学年の先生たちとの楽しすぎる生活を想像しちゃったりして、、、そんな夢は打ちひしがれて、それに関しては辛い。ずーっと一緒に働ける世界線はないものだろうかと真剣に考えた本当に子どもみたいな時期もあった(笑)でも、それはないし来年度もそのまま継続で同じ職場だとしても同じ学年団で働けることはないだろうと、全員現実を見始めた。(諦め切れた試しはないが笑)

 

 まあこのことについては、改めてこのことだけで記事を書こうと思う。長くなりそうだと今悟ったので(笑)

 

 来年度の話と並行しながらの1月は、「大変で疲れたなあ」とその一言だ。でも、あと2ヶ月で今年度も終わる。この2ヶ月大事にしたい。

嫌な予感

 新年あけましておめでとうございます。新年の挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません。旧年中は、日々の日常で考えたことをつらつらと書いているこのブログを読んでいただき、本当にありがとうございました。何だかんだで今年でこのブログも4年目になります。思ったことや考えていることをありのままに書いているだけのこのブログですが、お付き合いいただける方は引き続き読んでいただければと思います。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 新年早々なんだか嫌な予感がしている。勤務校が変わるかもしれない。そんな嫌な予感。でも、もう自分は割り切っている。これまでずーっと「今の学年団のまま来年度もやっていきたい」なんて夢を抱き、そう話していたけど、今年度が終わる3月まであとたったの2ヶ月ほど。現実味のない話をするのもどうかと最近ふと思い始めた。こんな幸せずっと続くはずもない。それを分かっていて夢を語っていられたのは、きっとまだ終わりが見えてきていなかったから。たった1年の小さな幸せだから、意味も価値も見いだせるってことなのかもしれないし。かなり今の自分は弱気だ。

 

 学年が変わるだけでなく、職場まで変わってしまいそう。そんな予感。仕方ないなと思うし、また新たな学びを得られるとも思うし。だからと言って、今の学年団でなくなることは嫌に決まっている。こんなにストレスなく、チームワークが成立する学年団はこの先もあるか分からないくらい今は恵まれている。そして、自分だけが職場を変わる可能性だってある。というか、むしろ大人の事情でその可能性しかない。でも、それだけだと暗い話で終わってしまうため、ここでは夢を語らせてもらおう。

 

 来年度も同じ学年を今の学年団で持てたら、自分は何も言うことがない。どんな仕事でもやるし、しんどいことも引き受ける。それくらいの覚悟で、願っているのである。今でも大変なことはある。でも、みんなで助け合って笑って過ごせる環境がある。そんな職場何よりだと思う。「この4人なら何でもできる」と不思議と思える。普段からよくしゃべる。だから、何を考えているかがお互い何となく理解できている。「何かあれば支え合えばいい」と思っている。常にスクラムを組んでいるイメージ。誰がこんな素晴らしい学年団を手放したいだろう。「ずっと続けばいいのに」と思うのが当然じゃないか。

 

 新年を迎え今年度も残り少なくなってきて、何だか夢を語ってもいられなくなってきた。悲しいことだが、これが現実。あと2ヶ月。「この短い時間を大事にしたい」と思うばかりである。いっぱい笑うぞ~!

2023年12月を振り返って

 12月の時の流れは異常だと毎年思うが、働き始めてからは余計にそう思う。もちろん今年の12月も光の速さで過ぎ去っていった。それだけ充実しているということでもある。ありがたい。

 

 今月は、学習発表会や企業見学、進路学習に盛りだくさんだった。そして、何より年明けから順次始まっていく現場実習の事前面接が年内にある子どももおり、大変だった。なんせ初めてのことだったから、丁寧にしたい気持ちと早くやらなければいけないという気持ちが混在していた。しかし、あの子たちは力がある。バタバタしている大人を見ながら、きちんと着いてきてくれていた。(ありがとう〜!)就労への気持ちが高まった子どもたちが多く、本当にやりがいがある。期待に応えるって大人でも難しいのに、それを一生懸命やってのけようとする姿が愛おしく、素晴らしい。見習いたいし、本当に大人より立派だ。きっと年明けの実習も大丈夫だと信じている。

 

 その一方で、不登校気味の子どもが一人クラスにいる。どんな面においても遅れてしまってついていけないし、浮いている。ついていけないことを薄々気づいているのかもしれない。今後どうしたいのか、意志がない。考えることも難しいから、特別支援学校に入学しているということも分かっている。それでも、保護者も学校に丸投げの状態で、こちらが何か働きかけをするというのはどうも違う。常に、学校・保護者・本人の三角形が大事である。これが成り立たないと、子どもにもいい教育はできない。いくら学校だけが頑張ったとしても効果は得られない。家庭の問題は、正直学校は知ったこっちゃない。今の時代、学校が家庭に何も言えない時代になってきている。しかし、ポイントポイントを押さえておかないと、本当にそれこそ完全に教育公務員はサービス業になってしまう。(もうなっていると言う人もいる)不登校の子どもで「学校がおもしろくない」と言う子がいる。でもそれってたぶん、「学校に行きたくない理由を探してるだけなんだろうなあ」と思うようになった。綺麗事を言っていられないのが現実だ。

 

 この子のことだけについて、いくらでも語れる。問題は具体的にあるが、その解決方法は全く見えてこない。しかし、時は進む。学年としては本当にいい方向に向かってみんな一人ひとりが頑張っている。大きく成長を遂げた子、いつも同じ調子でいい働きができる子…これからが楽しみな子たちが多い学年だ。年明けの実習に向けて気合を入れて、頑張ろうとしている子たちを応援している。

 

 そして、相担の先生、今年出会った最高の2人の先生。通称家族にたくさん支えてもらった1年だった。「こんなに相性がいいことがあるんだ」と今でも驚いている。笑わせてもらって、助けてもらって、慰めてもらって…感謝しかない。ありがとう。本当にありがとう。みんなのおかげで、自分らしくいれたし楽しく過ごせた。

 

 来年はどんな年になるのかな。今年度は3ヶ月。子どもたちにとって自分成長できる、素晴らしい年になりますように。