その辺にいる大学生(22)

大学4年生のブログです。

結果論で物事を語る人

 「~な人」の話を少し前のブログでもしているため、またそのシリーズかと思われるかもしれないが、そこそこ真面目な話をしているということでお付き合い願いたい。何かに挑戦すればどんな形かは様々でも結果が必ず出る。今、このブログを書いているとランニングをしている大人の方が走り去っていくのが見えたが、あの方が「今日は5㎞を完走する」と決めていてそれを達成できるか否かで結果は変わってくる。料理が好きな方が「好きな人の誕生日までにケーキを作れるようになる」と目標を立て、それが実現するかどうかで結果が変わってくる。でも、その結果が出てから一喜一憂することが多いがそれってどうなのだろうと自分は思うのである。

 

 「5㎞完走できたから今日は上出来だ」「クリスマスケーキ作れるようになったからOK」と言っているようではいけないのではないか。でも、自分もこんなことに気づけるようになったのは高校生くらいだった気がする。たとえ5㎞を完走できたとしても「一定のペースで走れたか?」「完走したが体力的にギリギリでゴールできたのではないか?」と考えることが必要だと自分は考える。分かりやすいもので言うと、受験。自分は大学受験はAO入試しか経験しておらず、いわゆる筆記テストを受けていない。だから、筆記テストを経験した中学受験の話をさせていただく。結果は合格したが、成績を開示した際に点数が全く思うように取れていなかったことを覚えている。「え?こんな点数で逆になぜ受かったの?」という点数だった。今思えば、無事合格できたのはいいものの入学後が大変になるのはこの時点で分かっていたのかもしれない。それはさておき、合格通知をもらい意気揚々としていた。結果さえ出ればそれで満足だったのだ。部活で結果が出なくてもいい試合はあったし、結果が出てもモヤモヤの残る試合もあった。フォアボールの連続のおかげで打てなくても勝てた試合もあったが、それは自分たちの力で手に入れた勝利でないと思っていたし、実際そうだろう。

 

 「これは結果論だけど…」という言葉をよく耳にする。結果を見てから過程を嘆いたり誇りに思うことは、もちろん人の勝手だが自分は言う必要あるのかと思ってしまう。ついでに言うと結果オーライという言葉もあまり好ましくない。結果というのは一瞬の断片的なものであるため、それを中心にして話をしても説得力がないと思ってしまうのである。結果は結果で受け止めればいいが、過程がやはり最も大事なものだと思う。過程は断片的なものではないし、簡単には語れない。いいところも悪いところもあったと振り返っていれば、様々なことが思い出される。過程を大事にできる人でありたい。

勉強はおもしろい

 学校で習う国語、数学、理科、社会、英語のようなことだけが勉強とは言えないと年齢を重ねるごとに思い始めた。大学に進学すれば、その勉強と呼ばれる幅は圧倒的に広くなることも感じていた。経済学、国際政治、スポーツ医学なんて教科は高校までに出会うことは少ないが、高校卒業後学ぶことが可能である。勉強をおもしろいと感じる子どもは全体の1割にも満たないのではないかと自分は思っている。学校へ行って1日5時間~7時間は勉強をしているのに、そう感じてしまうのはもったいないと思う。学校へ行きたくない、面倒くさいと思うのも無理のない話である。

 

 中高生に「興味のあることを自由に学んでください」と言ってもなかなか難しいのが現実だ。それは定期テスト・模試・受験に縛られているからである。中学受験をすると決めてから、受験科目の国語、算数、理科、社会の4教科を必死に勉強していた。当時サッカーをやっていたため、サッカーの本を読み漁ったりもっとサッカーを上手くするためにはどうすればいいのかということを学びたかったが、受験のために今すべきことは何かと考えれば勉強の一択でしかなかった。自分の場合、自分で受験を決めたためそこまで苦ではなかった。高校生の時、全くと言っていいほどに勉強をしていなかったが、部活に集中したくても定期テストはやってくるためそのために少しは勉強していた。学びたいことが他にあるのに、定期的にやってくるテストのために時間を割くのが嫌で嫌で仕方がなかった。今、大学生になって分かるのだが自分が学びたい学問のことだけを考えていればいいため、本当に気持ちに余裕ができて「これが本来の勉強のおもしろさなのだろう」と思えている。中学校・高校の時だって、おもしろい学問に出会えていたのかもしれない。でも、テストや模試のためにやっている勉強で志望校に合格するためや成績を上げるための「手段」にしかなっていないため、しんどいし義務に感じて苦しくなるのだろうと思う。今は、教育学部に進学し教育学のことだけを考えていればいいし何かの手段ではなく、目的として向き合えていると感じているためとても楽しい。

 

 勉強というのは、実はおもしろいものなのだろうと思う。「これをしなさい」「あれをやってみましょう」と学ぶものを決められてしまっていることが苦しくなる原因なのだろう。これは完全に想像の話になるが、自分の永遠の苦手科目だった国語をテストなど関係なく学んでいけていたら、国語のおもしろさに気づけていたかもしれない。どうしても、点数化されてしまいたくさんの✕がついた回答用紙を見ると、おもしろくないと思ってしまっていた。「作者の主張なんて会ったことある人の主張でも難しいのに、会ったことのない作者の主張が分かるわけない」と屁理屈をこいていた時もあった。でも、点数のことなんて気にせずに、「どんな思いでこの小説をこの作者は書いたのだろう」と想像することは確かに楽しいし自分の考えが深まる気がする。学びたいこと、それが学問で、おもしろいと感じられるものだと思う。勉強っておもしろいものなのだ。

誰かのために一生懸命になれる人

 自己中心的な人というのは精神年齢が低い人に多い。「自身がいい思いができればいい」「自身が得をすればそれでいい」と思っていても自身に幸せは舞い込んでこない。そう思う。もちろん自身のために他人に優しくしたり、支えになったりするわけではない。本当にその人のことを思って働きかけるのである。そういった言動が習慣づくと、気づけば自身も幸せになっていると自分は思う。でも、他人のために何かをするというのは容易なことでは決してない。

 

 術後22日後の昨日、診察とリハビリがあった。順調に足首の可動域とふくらはぎの筋肉がほぐれつつあると言っていただき、一安心した。診察の後、リハビリがあったのだがいつも同じ担当の理学療法士の方がついていてくださっていて、その方が「何としてでも来週までにより可動域を戻して荷重できるようにしような」と声をかけてくださった。リハビリは家でやっていると孤独で辛い。当たり前のことだが、家族にはこれ以上ない迷惑をかけて気も遣ってもらっていてもリハビリのことは自分にしか分からないし、やらなければいけないのは自分であるため楽しい時間と呼べるものではない。それでも、自分と同じように目標に向かって共に歩いてくれる人がいることは本当に心強く、頼もしいと感じたのだ。これまでも術後リハビリは何度も通っているが、昨日は特に本気で自分の体を元に戻そうとしてくれている気持ちが伝わり嬉しかったのだ。

 

 誰かのために一生懸命になれるってとても素敵なことだと自分は思う。自分が怪我をして病院へ行く機会があるため、より一層思うようになった。医師、看護師、理学療法士の方…本当に様々な方の仕事をしている姿を見ているが、やはりああいった仕事をしている方は「患者様のことを第一に思える」ことが最も大事なのだろうと思う。そうでないと務まらない仕事なのだろうと改めて思った。自身のことを優先していいのなんて産まれてから本当に何年かなのだろう。幼稚園、小学校へ行く年齢になるにつれて集団で生活していくことになるため、他人のことを考えるということをしていかなければいけない。そして、誰かのためを思って行動しなければいけないと自分は思うのである。でも、それができないからといって何とも思わない。冒頭でも触れたように、決して簡単にできることではないからである。誰かのためにしたことがその人に喜んでもらえたなら、それでいいと自分は思うタイプである。自分も嬉しくなる。感謝されるためにやっているわけではない。もちろん自分のリハビリ担当の方もそうだと思う。完全に自分のことを考えてやってくださっている。でも、自分はとても感謝している。自分も誰かの役に立てる人間になりたいと強く思った。

特定の人と関わる

 アルバイトを始めたのは大学1年生の秋。高校生の時にバイト経験はないため、これが初めてのアルバイトだった。アルバイトをしたいという気持ちも憧れも何もなかったが、教員になるにあたって経験を積もうと思い家庭教師を選んだという経緯があった。家庭教師をしていてよかったことを紹介するとともに、特徴なんかを綴っていけたらと思う。なんせ接客業とは大きく異なる職種だからである。

 

 接客業は大変な仕事であると思う。これは自分は経験したことはないため、想像になってしまうがいつも気を張って気を様々なところに巡らせていなければいけないのだろうと思うからである。でも、その接客業を経験してこなかったのには自分なりに理由がある。自分はとにかく教員になりたい一心で大学に入学したし、入学後もその思いと熱意は変わらずあった。だから、経験が直結しそうな家庭教師を選んでいた。今では接客業を経験していないことが大人として学んでいなければいけないことを学べていないということが自分の人生にとってマイナスになってしまいそうで不安だが、これから失敗しながら学んでいきたいと思っている。

 

 接客業をしていると不特定多数の方を相手に仕事をすることになるし、それが当たり前でもある。自分はその逆の特定の方と関わる仕事を経験させてもらった。週に1~2回同じ家に伺い、同じ生徒に指導をするのが当たり前だった。不特定多数の方を相手にする仕事の方がマンネリ化しないで仕事に打ち込めると言う人が多い。自分は逆で、特定の方と関わっている方が仲を深め特定の方だけのことを考える方が自分に合っている。特定の方と接することも案外難しいことなのかもしれない。

 

 確かに接客業とは違う難しさもある。「どうでもいいか」が通用しない仕事である。これから会わないかもしれない人を相手にしていないためである。毎週顔を合わせ、その生徒と親御さんと付き合っていかなければいけない。その生徒と親御さんのことを考えて、大学生なりに必死に勤めなければいけないのである。「〇〇高校に入れるようにしてください」「テストで〇点取れるようにしてください」生徒とその親御さんによって要望は様々で、生徒の置かれた状況や環境もいろいろとある。それらを考慮して自分にできることは何かと考えやってきた。「ひとり親家庭であるため公立高校でないと行かせられない」という親御さんの心の叫びや「面倒見てあげられるのは高校まで。大学からは行きたいのならバイトしながらでも通いなさい」という親御さんの強い意志を聞くことがもちろんあったし、生徒の思いとすれ違っていることも多くあったため辛かった。勉強になかなか力が入れられない生徒、勉強する意味が見い出せない生徒といろんな生徒がいた。本当に様々な気持ちになった。これもいい経験だと思っている。

 

 特定の方と接する仕事は仕事で苦労と大変さがある。自分は身をもって感じた。でも、生徒やその親御さんの思いを踏まえて考えることも自分にとって勉強になったため、たくさんの感謝がある。生徒や親御さんからしても自分は特定の人間だったわけだ。いい先生では決してなかったが、忘れない存在になってくれれば嬉しいと思う。

 

 

学びの転がるタイミング

 子どもの頃は何とも思わなかったが、ある程度大きくなってから学びの機会を与えてもらえることはとても貴重なことであると感じている。学びたければ自ら学んで、その選択も自ら行わなければいけないからだ。「何事も勉強だ」といつからか思うようになった。嫌なことや不快な経験は誰しも避けて通りたいものである。だから、無理やり脳内変換して勉強したと思えないとモヤモヤして終わるだけになってしまうため、そう思うようになったのだろう。でも、それはあながち間違ってはいないとも思うのだ。

 

 中学生の頃、平和主義の自分にもケンカをした経験がある。平和主義とは言っても、意思を絶対に曲げない頑固さがあるため、腑に落ちないことを言ってくる人は絶対に逃がさない。それでケンカになることが多かった。人間関係が原因のケンカだったが、それも今ではいい勉強になったと思っている。言い合いにもなって散々嫌なことも言われたが、これが勉強になったと思えていることが不思議でたまらなかった。

 

 この間、教育実習があった。怪我をした上にたくさん怒られて指導されたことはこのブログでひたすら書いているため分かってくださっている方も多いと思うが、結局勉強になっていい経験をさせてもらえて、再出発のきっかけになったとも思っている。何でそんなことが思えているのか不思議でならないと言われることも多いのだが、自分はいい子でも何でもなくただそういうマイナスな気持ちになったタイミングが学びチャンスなのだろうとも思っているだけなのである。そう思わないともったいないという自分のただの言い訳かもしれない。

 

 部活をしている時だってそうだった。もちろん勝ったり賞状がもらえたりすることは嬉しいし誇らしい。でも、学びがあるのは確実に負けた時だった。勝った時というのは、意外と振り返らない。「あのプレーはよかった」「あれがあったから勝てた」と仲間同士で褒め合う。そういったことはよくあった。勝った試合について反省することはあまりない。全てが完璧で勝てた試合なんてないのにである。だから、失敗やしくじりは大事にしなければいけないと思うのである。学べるチャンスなのだ。

 

 勇気を持って挑戦しよう、失敗を恐れないで失敗を踏み台にしてステップアップしようというのはそういったことである。学んだタイミングを考えてみると、常に気持ちが凹んだり沈んだりしている時だということが自分の経験からは言えると思った。誰しもそうなのかは分からないが、自分はそうだった。悪いことをしてしまって、怒られるのと怒られないのとでは今後の人生が全く違ってくるだろう。当然、怒られる方が勉強になる。だから、怒ってくれる存在は大事で怒られているうちが華だとも言われるのだろうと自分は解釈している。マイナスの気持ちが生じた時、それが成長できるチャンス。無駄にせず、成長していきたいと思う。

言葉の力

 発言でも活字でも何でもいいのだが、とにかく言葉が日常には溢れている。SNS、新聞、テレビ、ラジオ…数え切れないほど様々なところに転がっているのが言葉である。その言葉が励ましになったり元気づけられたり、はたまた傷つけてしまったり嫌な気持ちにしてしまったりすることがある。それは言葉を使う者次第で変わってくる。以前、このブログで「思ってもいないことが言葉として出てくることはない」という話をしているのだが、やはり心の問題で心に余裕がないと優しい言葉は扱えないし、心が尖っていればそのまま言葉にもトゲがあるようになってしまう。誰しもそうだが、嬉しい言葉をかけられたことも悲しくなるような言葉をかけられた経験もあるだろう。もちろん自分もどちらもある。しかし、自分は周りにかなり恵まれているため嬉しくなるような、励まされるような言葉をかけられることが多かった。ありがたい話である。

 

 こんな自分にも気分が沈む時がある。もちろんそれは表には出さない。助けを求めるのは苦手だが、何度か「話を聞いて欲しい」と切り出したことがある。当然、相談相手の友だちや恩師は快く引き受けて話を聞いてくれ、自分を刺すようなことを言わない。温かい言葉をくれた。その言葉に支えられて立ち直ってきたと言っても過言ではない。弱っている時にかけられる言葉はお世辞だって何だって良くも悪くも響く。言葉は大きく人生を左右するものだとずっと思っている。

 

 「いいところいっぱい知ってる」「一緒に頑張ろう」たったのこれだけでいいのだ。子どもみたいな励ましの言葉でいいのかと思われるかもしれないが、こんなことでいいのである。無責任なことは言えないが、「前を向いてやっていこうよ」というメッセージ性を含んだ言葉なら当事者に届くと思って自分は意識している。逆に「〇〇に言われたからやってみたけど、無理だったじゃねえか」と誰かのせいにするのはお門違いである。背中を押してくれただけで、結局そうすると決めたのはその人自身だと思うため自分も人のせいにする行為は絶対にしない。「もう少しやってみれば届く」と言われれば、苦手科目も手をつけざるをえない。自分はそういうタイプだった。先生たちからすればそういった意味で扱いやすい生徒だったかもしれない。ベタだが「君ならできる」と言われれば、「やってみるか」と重い腰でさえ上がる。言葉にはそんな力がある。

 

 人間誰だって1人で生きていける人なんていない。誰かに励まされ、慰められ初めて生きていけるものだと思う。そんな中で言葉は非常に大事である。言葉をどう使うかはそれぞれだが、人を明るくしたり救うような言葉を扱える人間が増えることを願っている。それで助かる人がどれだけいるか一度考えてみて欲しい。その逆も然りだ。言葉は丁重に扱おう。

約3ヶ月の我慢

 普段は自分の考えをつらつらと書かせていただいてういるのだが、今日は少しテイストを変えて書いていく。怪我をしてから約3ヶ月が経った。この3ヶ月は何もできない期間に見えて思うことはたくさんあった。脚を怪我すると、行動範囲が狭くなる。これは想像していただければ分かることだが、ほとんどの時間を家で過ごしていた。どのような3ヶ月を送っていたかを書いていければと思っている。よければお付き合いいただきたい。

 

 6月3日。右アキレス腱断裂。診断を受けた日は翌日の6月4日だということは、以前のブログでも書いているためそちらを読んでいただきたい。不安と焦りに襲われて、今後のことがとにかく心配でならなかった。しかし、教育実習中の出来事ということもあり、目の前のことにも追われる日々。正直、いっぱいいっぱいだった。「松葉杖はいつ取れるのだろう」「歩けるのはいつ頃だろう」「本当にスポーツ復帰はできるのか」ととにかく疑問がたくさん頭に浮かんだ。漢字2文字で表すのであれば、「絶望」である。アキレス腱の断裂部分のギャップがあまりないため、即手術ではなく保存療法で治すことができると診断され、その点はホッとしていた。何よりとにかく教育実習を無事に終えたい一心だったため、入院をして手術をするなんて自分の中では論外だったのである。ギプス固定2週間、装具4週間、松葉杖除去6週間、歩行3ヶ月、スポーツ復帰6ヶ月だと言われたため、何とか希望を持ってやっていこうと思っていた。無事、教育実習も終えることができ、ギプス固定2週間も終わり装具になり順調だった。教育実習が終われば、教員採用試験の受験が待っていた。松葉杖をついて装具をして何とか踏ん張れた。もちろんこれで治るのならやるしかないと思っていたからだ。

 

 しかし、8月6日の診察で「前から少し気になっていたところがあって、そこが上手く引っついてきていない。もしかしたら手術の方がいいかもしれない」と言われた。先生が何を言っているのか本当に分からなかった。手術なんてもう考えなくてもいいと思っていたことだったため、茫然としてしまったしその場で泣いてしまった。涙が勝手に溢れ出たのだ。あの状況で「今更手術?」とならない人はいないと思う。でも、受傷後すぐに手術することも教育実習中だったのでそれはできなかった。それでも教員採用試験が一旦落ち着いた7月中旬頃には手術できたと思う。1ヶ月半くらい無駄になったと思ってしまったと思っていたのである。その日はとにかく落ち込んだが、「手術した方がいいのかを信頼している先生に診てもらいたいから、大きな病院に行ってみて欲しい」と言われたので、12日に父と病院に向かった。

 

 単刀直入に言うと、手術だとも手術はしないでもいいとも言えないという後の主治医の言いぶりだった。もうとにかく、自分の体にメスを入れることが怖くてこのまま保存療法で治したいというのが自分の意見だった。だから、「できるだけ手術はしたくない」と主治医に伝えた。その時、「じゃあこのまま治していきましょう」と言われなかった。今思えば、これからスポーツをやりたいと思っていることを話していたため本当は手術を勧めたかったかもしれないが、保存療法でこのまま治したいと言っている自分に対してあまり強く言えなかったのだろうと思う。今大学生でこれからどのような職業に就いて、どんな生活を送りたいかを詳しく話した。「手術をもししたとしても元通りに戻る保障はないが、保存療法より治りはいい」とも言われた。「診察室を一度出て待合室でよくお父さんと話し合って、話がまとまったらまた診察室に入ってきてください」と言われた。待合室で父は「どうする?手術するか?」と言った。自分の中でも先生の話を聞いて手術をした方がいいと思っていたため、話はすぐまとまった。主治医に「手術でお願いします」と言った。そうするとどのような手術になるかを説明してくれた。そして、24日入院、25日手術ということがその場で決まった。血液検査、尿検査、心電図など入院に必要な検査を夕方までかけて済ませ、約3ヶ月使っていない右脚の筋肉は凝り固まり、足首の可動域は狭くなってしまっていたため、手術をより楽にするためということで術前リハビリがその日から始まった。手術まで2週間あったが、その間も教員採用試験は続き、何となく忙しい日々を過ごしていた。

 

 そして、教員採用試験も無事に終わりいざ入院の日になった。受傷してからの3ヶ月が一気にフラッシュバックした。大学の授業もオンラインにしてもらったことや教員採用試験も親について来てもらったことが全て思い出されて、「約3ヶ月行きたいところも行けず、友だちとも遊べず我慢したんだけどな」という感情になった。それでも、今後の長い人生を考えれば我慢すべきだし、きっとこれからは笑って過ごせると自分に言い聞かせた。無事に手術を終え、昨日ギブスが外れた。

 

 手術をするということ自体が、自分にとって大きな決断だった。今更感があるし、これまでの約3ヶ月の立場がないと思っていたからである。松葉杖や装具の除去の時期はリハビリ次第だと言われているため、ここからは自分の意志と努力次第だと思っている。約3ヶ月の挽回をしたい。あの時我慢していてよかったと思えるように、1日でも早い回復を目指す。