その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

最近思うこと

 4月に入って3週間ほどが経った。自分にとっては、新しい環境での3週間。正直疲弊している。「まだこれが4月なのか」と思うと先が思いやられて、余計にしんどくなる。ネガティブなことばかり考えてて、つまらん人間だと自分のことも嫌になる。きっと万人からすると、ちっぽけなことでしょうもないこと。まだまだ修行が足らんなあと思う。

 

 社会人としての2年間。本当に楽しかった。何も言うことがなかった。一人で綺麗なアパートに住み、職場の人たちにも恵まれて、地元とは違う都会も経験できた。幸せで一瞬だった。月に1回好きな実家にも帰れていたし、申し分ない生活をしていた。派手なことはしないが、好き放題暮らしていた。先生たちともたくさん飲んだなあ。誘うと気さくに行ってくれる先生ばっかりやったなあ。やっぱり仕事が生活の軸になる。これはほとんどの人がそう。その仕事がやりやすい環境で、周りの人たちも親切だったから落ち着いて仕事ができて、私生活も安定していたことは、間違いない。

 

 今はどうか。この4月に入ってから職種は変わらないものの勤務地が変わるだけで、何もかもが違って見える。「地元に住んで仕事ができたらいいな」と思っていたし、それが叶ったのだから喜ばしいことなのに何かが違う。もう4月になって3週間が過ぎた。こんなにもアウェな感じを経験したことは大学生以来。大学の時もずっと心を許せる友だちはできずで、4年間が終わった。だからどうというわけではない。「中高の友だちがいるからいい」と割り切っていたのも事実である。今回もそうなのかもしれない。慣れるまではいかなくとも、安心して働いてはいたい。そういうことも実は難しいことなのかなあ。

 

 何か話せば話ほど、自分の甘さを露呈している気がしないこともない。もちろん自分からすれば自分の経験が全てでそれが軸となる。その軸から離れていることが続いているからこそ、きっとしんどいのだ。世間から見れば当たり前のことなのかもしれない。

 

 残念ながら、過去の楽しかった思い出を励みに頑張れるタイプではない。ただあの時に戻りたい気持ちになるだけ。「あの行事は楽しかったなあ」「飲んだあの日は忘れられへんなあ」って写真を見ながら、懐かしい気持ちになる。気づいたら口元が緩んでいる。いい思いをたくさんさせてもらっていた。そして、仕事上でも頼りにしてもらっていた部分があった。まだ2年目なのに、任せてもらっていたことも多かったし新しい挑戦もさせてもらった。本当にありがたかった。どんどん仕事を覚えさせてもらえたし、勉強もさせてもらえた。何よりやりがいを感じられていた。今は、大人の数も増えて仕事が分散されて自分でなきゃいけない仕事も特にない。仕事があまりないと言っても過言ではない。やってもやらなくてもいい仕事やまだまだだ先の仕事をする毎日である。もっと行事が入ってくれば大変なのかもしれないが、経験がないためそれも分からない。まあとにかく何でも初めて。みんなにも「3年目だけど、初めてのつもりで来ている。当てにしないでくれ」と言っている。

 

 そんな毎日を過ごす中での精神安定剤は、前任校で出会った先生方とのLINE。本当にあったかい人たちだ。これから食事に行く予定がある先生もいらっしゃる。とっても嬉しい。いろんな方が応援してくださっている。だから、何とか頑張れている。(ありがとうございます!)

 

 そんなこんなで、明日からもまた1週間始まる。気がしんどいが、踏ん張るのだ。

2024年3月を振り返って~1年を振り返って~

 「遂にこの日が来てしまった」という感じ。1年ってこんなにも早いんだな。年々早くなっている気がする。もちろん「〇月は長いなあ」って思うこともあるけど、年単位で考えるとまあ早い。今年度は、とてもとても早かった。

 

 去年の4月。新入生の担任という発表があってから、正直戸惑いが隠せなかった。当たり前に持ち上がれると思っていたから。でも、そんな夢も呆気なくなくなってしまった。まあ、人生そんな上手くいくはずないよね。

 

 先生方も半分の入れ替わりがあり、何だかバタついていた。だから自分が落ち着いていないなんて状況ではいけなかったのだ。おかげで冷静になれていた部分も大いにあったような気がする。

 

 バタバタの中始まった新学期。とはいえ、今年度は皆さんを迎える側。着任した時よりかは少し落ち着いていれた。こんな2年目小僧にあれこれ聞いてくださる先生ばかりで、何だか焦ったのを覚えている。一緒に組む相担の先生は、優しいボスのような方というのはとても嬉しかった、安心していた。隣のクラスは、ウチの学校がライバル視せざるを得ない学校から異動されてきたベテランの先生と初任の講師の先生ということだった。そして、女性同士。一体どんな学年団になるのだろうかととにかく不安だった。相担の先生に尋ねるとかなりベテランなのに、同じようなお考えだったようだ(笑)

 

 そこからはとにかく新入生を迎える準備。いろんなものに名前入りのテプラを貼って、入学式の準備。学年会を開いてとにかく1年の流れを確認して、行事等の担当者を決めた。まだまだ全員心を開いておらず、探り探り(笑)今思うとおもしろい。そして、新入生を迎えた。

 

 子どもたちを見た第一印象。「本当に軽度の知的発達の遅滞」だった。とてもとても発達が遅れているという感じはほとんどなかった。「いろんな可能性があるな」と楽しみにもなった。すると、その予想は見事的中。挑戦してもらうと、できることや徐々にできるようになっていくことがたくさんあって、成長を間近で見させてもらってとても楽しかった。

 

 そして、何より志が高い。「なぜこの学校へ入学して、これからどうしたいか」と考えながら日々過ごすことができていた。大人が何も言わなくても当たり前にそれができる。すごすぎることだと思った。でも、まだまだ子ども。そう感じられるようなこともあった。それでこそ、子どもでさらに支援が必要な子ども。まだ彼らは発展途上なのだ。

 

 とにかく毎日必死に頑張っていた。いろんなことに一生懸命になれていた。たくさんの笑顔と成長を見せてくれた。特に、秋の遠足は楽しかったなあ。秋晴れを通り越して暑いくらいの気温で、最高だった。みんなとてもいい表情をしていた。だから、来年度は一緒に修学旅行もあるし、今度こそ持ち上がりたいと思っていたけど、異動が決まって今年度も夢が絶たれた。とても辛い。

 

 でも、この1年本当にみんなよく頑張った。もちろん個人個人に課題はあるけど、もびしろしかないから楽しみでしかない。遠くから応援している。

 

 

2024年2月を振り返って

 超多忙な1月を経て、2月を迎えた。逃げるの2月。本当に一瞬で過ぎていった。自宅学習日や代休、祝日が多く登校日が少なかった。それもあって、すぐに終わっていった2月。子どもたちは、現場実習が終わりホッとしていた。もちろん教員側も(笑)でも、評価は様々だった。ほとんどが期待通りの評価で帰ってきた。学校でできていることを、外でも発揮できていた。もちろん、逆も然り。慣れた場所でしか力を出せない子どももいて、まだ就労についての準備ができていないことが分かった。でも、大体は学校でできていないことは外へ出ても当然できない。それは子どもたちも分かったのではないかと思われる。スポーツもそう。練習でできていないことは、試合でもできっこない。そういうものだ。(運とか奇跡とかそんな話とは別の話)

 

 ホッと一息ついたところで振り返りも行った。「実習に行く前の気持ちは?」「得意な作業と苦手な作業は何だった?」「今後の課題は?」などとかなり丁寧に振り返りと報告会を終えた。あの子たちはすごい。しっかりとこちらが意図した通りに振り返ってくれた。2年次での現場実習に繋がりそうな振り返りができた。

 

 先月。学年団に異動のことを伝えた。その時とても寂しがってくれた。「何で異動せないかんのんか」とまでに言ってくれた。単純に嬉しかった。それで、地元に牡蠣を食べに遊びにきてくれることになった。平日の自宅学習日を使って、みんなでドライブで行こうと言ってくれたのだ。そんな幸せなことがあっていいのかと思うほどに、嬉しかった。2月はそんな楽しいこともあった。車中もとても楽しくて、「この時間がずっと続けばいいのに」なんて考えてしまった。段々と一緒に過ごせる時間が少なくなってきている事実から、目を背けたい。が、別れの日は着実に一日一日近づいている。どう考えてもやっぱり寂しい。

 

 後一ヶ月、とにかく悔いのないように過ごしたい。子どもたちも2年になる準備を意識し始めている。どんな締め括りができるかな。

妹に居場所

 人は、居場所がないと生きていけない。生きていけないというのは語弊があるかもしれないが、極端に言うと呼吸はできる。「心に余裕をもって」生きていけないのだ。

 

 遂に妹も居場所と呼べる場所に出会えた。22歳にして喜ばしい出来事だ。個人的には「ちょっと遅くて可哀想だ」と思わなくもない。それは、自分が人に恵まれた人生を歩んできたからだろう。それもある。学生時代に、チームプレーのよさとか人の温かさを知れたからこそ今があると思うし、妹は妹でやっと出会えた居場所に感謝しまくるだろう。感情を表にあまり出さないから、そんな風には見えないんだろうけど。

 

 やっと居場所を見つけたということで、妹からかなり話を聞くようになった。子どもの頃から、自分自身のことについて話すことはほとんどなかった。「そういう性格なんかなあ」とか「話したいと思えることがないんかなあ」と思っていた。自分とは真逆だからずっと疑問だった。真相は分からないが、今はこのコミュニティのことになると意気揚々と話す。これにも驚いた。「本当に人生が変わったんだなあ」と嬉しかった。友だちとか仲間ってある人にとっては別にいなくてもいい存在なのかもしれないけど、自分はそういうのは寂しいと思ってしまうタイプ。だから、妹にもそういう存在ができたら、また違った人生が開けるのではないかと思っていた。すると、予想は見事的中。妹は今、本当に楽しそう。居場所を見つけた顔をしている。

 

 妹は大学4年。来月には大学を卒業する。それに伴って引っ越しをする。その準備の手伝いに一昨日と昨日は時間を費やした。その引っ越し先に、一人特にそのコミュニティでお世話になっている人が来てくれていた。そんなわざわざ大事な休みの日を使ってくれたことがありがたくて、今日挨拶に行ってきた。突然のことで驚かれたが、やっと手に入れた妹の居場所だ、いろいろとお願いをしておきたかった。これは兄弟として当然の気持ちだと思う。妹を応援してくれる人が多ければ多いほど、ありがたい。だからこそ、感謝の気持ちも改めて伝えたかったし。一度、ご丁寧に初めてお会いしてからポストカードをいただいたのだけど。自分もそのポストカードをいただけたことがとても嬉しくて、心の優しい方とお付き合いできている妹のことを少しだけ、安心できた。他力本願的な考え方かもしれないけど。

 

 とにかく、いい人たちに囲まれて妹幸せそうだ。人の温かさに触れるってきっとそういうこと。今なら、妹も自分が言っていたことが分かるかもしれない。分かっても、意地があるから認めないだろうけど。そんなことはいいのだ。妹が人と関わりを持つことに積極的になったことが嬉しかった。これからも末長く居場所を大事にして欲しい。

 

家庭教師のバイトをしていた頃の話

 「学生の頃、何のバイトしてましたか?」みたいな質問って結構あるよね。個人的にはあんまり言いたくない。家庭教師のバイトなんてお高くとまってるイメージがある。自分もぶっちゃけそう思ってたもんな。賢い人がやるバイトやとか疲れなさそうな省エネで済むような仕事やなとか。でも、田舎ってこともあってたくさん店があるような環境でもなかった。

 

 自分は大学1年の秋からバイトを始めたけど、バイト探してる時は早起きが別に苦じゃないから、新聞配達もええかなあなんてふわっと思ってた。でも、せっかくなら将来やりたいと思ってる仕事に直結してプラスになることをやりたいと思ってたから、結局家庭教師に決めた。掛け持ちとかっていう概念はないし、やめるという選択肢もない。だから、始めたら大学を卒業するまでバイトは家庭教師。

 

 19歳で子どもの勉強の面倒を見る。不安だったけど、とにかく自分で決めたこと、やるっきゃない。結論、とても勉強になった。小学生で既に勉強に躓いている子。発達障害があってまずは学校に安定して通うことが課題である子。そもそも勉強にやる気を見出せない子。自分は自分で言うのも何だが、小学生の頃は公立の学校だったし割とエリートだった。だから、正直あまり小学生の躓きに共感できない。経験がないから。想像上での理解以上のことはできないのだ。これを聞いてもらった分かった人も多いだろうが、超難関校に合格させることや大学受験に向けての勉強を見ることなどのレベルが高いことをしていたわけではない。学校の勉強についていけない小学生や定期テストで一桁をとってしまう中学生に勉強を教えていた。これなら自分の学力でも面倒が見れた。中学生の頃、ほとんど勉強していなかったと自分で思っていたが、それなりにはやっていたことも分かった。

 

 4年間で10人の子どもを見させてもらった。もちろん、誰一人として全く同じ子どもはいなかった。特に記憶に残っている生徒についてここでは振り返らせてもらおうと思う。その子との出会いは大学1年の秋。自分にとって初めて受け持った生徒だった。その生徒は13歳男子。自分が卒業した中高一貫校の姉妹校に通っていた。サッカー部で友だちも多かったが、なぜか学校に行けない。世間的には、不登校と呼ばれる部類。家族構成は、父と母、そして4歳下の妹。両親に尻を叩かれて中学受験をしたことは何となく気づいた。そして、発達障害があったかもと今では思う。この子とは、週に1回の約束で契約していた。1日120分。休憩には、いつも美味しいスイーツ。晩御飯を弁当にして持たせてくれる日が多かった。一人暮らしをしてる自分にとっては、本当にありがたかった。保護者にもとてもよくしてもらった家庭だった。私学の中高一貫校に通っていて、定期テストで10点台がアベレージというのは、本人も辛い。でも、両親がそれを無理やり押し込めてしまったから本人はしんどかったんだろうと思う。まず学校に行けない日の方が多く、行けていても原因はなくピタリとまた行けなくなる。学校に行かなくなったことがない自分からしたら、不思議でしかない。学校に行けなくても、家庭教師はそのまま呼ばれた日もあった。「話だけでもしてやって欲しい」と言われた。正直、契約違反並みのことかもしれないが、自分はそんなのどうでも良かった。だって、数学のテストが全く理解できなくても死なないし違う生き方があると思っていたから。そりゃ親としては不安でしかないと思う。でも、まず勉強ができるできない云々は二の次、三の次だと思うんだよな。

 

 120分話した日もあった。保護者も交えて自分の意見を言わせてもらったこともあった。中高一貫校に通っていた自分のことを何となく頼りにしてくれていたのかな。それは嬉しかった。家庭教師をやっていた時は、センターを通して生徒さんを紹介してもらっていた。そのセンターを大学4年の夏前に辞めた。そこを辞める時に、「個人的にまた来てもらうことはできませんか?」と連絡が来た。そのやり取りで連絡は終わっていたことをふとLINEを見ていて気づいた。そのステータスメッセージに、「もう18歳か〜」と書かれていて、自分も鳥肌が立った。そんなに年月が経ったのかと。もう高校を卒業か。大学受験したのかな。まだ受験勉強中かな。それとも、働くのかな。専門学校?どんな選択をしたのだろう。そして、どんな青年になっているのだろう。そして、妹も中学受験をすると言って、勉強を教えていたこともあった。中学受験はしたのだろうか。もししていたら、合格したのだろうか。彼女も14、5歳になっている頃だ。子どもの成長ってすごいなあ。一瞬だ。

 

 ふと家庭教師をしていた頃のことを思い出した。どの子も個性的で出会えてよかった。どの子も懐いてくれて、可愛かった。みんなどんな道を歩いているんだろう。気になるなあ。

今の正直な気持ち

 久しぶりに長くなりそうな気がする。それだけ思うことがあんねんなあ、きっと。一つ前の記事を読んでもらったら分かると思うけど、この記事では異動の話をしていく。

 

 突然って前の記事では書いたけど、薄々気づいてはいた。ブログでも書いたけど、「嫌な予感」が当たってしまった。簡潔に言うと、地元に近いところで勤務になり実家に戻れる。これが目標だったから、素直に嬉しい。でも、今の職場が好きだし先生たちも好き。子どもたちの成長もまだまだ見ていたい。そして、地元に帰る時は「試験に受かってからがいい」と思っていたから、手放しで喜べなかった。(もちろん嬉しいんだけどね)

 

 トップのお偉いさんに呼ばれて、異動のことについて聞かされた。「こんな話があるけど、どうですか?」と言われたから、「今の職場にはいられないってことですか?」と正直に聞いた。そしたら、そういうことらしかったから、潔く去ろうと覚悟が決まった。

 

 「環境を変えて、今年度も試験に挑んで欲しい」と言われた。確かに、今の職場は先生も子どもの数も少ない。子どもたちの特性も軽度。勉強になるかと言われれば、率直に首を縦には振れないかな。まだ2年目で勉強になることがたくさんあったと個人的には思うが、確かに特殊な入りだった。「メインというか基礎的なところを勉強して試験の対策をしてもらいたい」というありがたい思いも伝えてただいた。

 

 そして、早々に来年度の勤務校のトップのお偉いさんに会いに行ってきた。学校が綺麗なことに感動しながら、校舎へ入った。いろいろと話をさせてもらって、とりあえず来年度から働けることに決まった。(ありがとうございます!)

 

 それにしても、こんなに早くこの時が来るなんて思ってもみなかった。だって、まだ2年だ。この地を去るのは、アラサーになってからでもいいかなと思っていたけど、早すぎたな。それが衝撃。せっかく、こちらに出てきて一人暮らしも継続したのにって思いももちろんある。それに、なんといっても、こちらでの出会いに心残りがある。

 

 社会人がスタートする前、本当に緊張した。「どんな人と仕事をすることになるんかなあ」とか「仕事するってどんな感じなんかなあ」とかって思ってたけど、そんな心配いらんくらい周りの人たちに恵まれて、楽しい日々を過ごさせてもらった。そんな周りの人たちと離れるのは、辛いし寂しい。こんな年下のことを可愛がってくれた先生方に感謝しかない。

 

 家族のような学年団には、正式に伝えた。とても寂しがってくれた。驚いていた。来年度の子どもたちのクラス編成や修学旅行について話をした会議の後に、言いにくかったが、言わないで後2ヶ月を過ごす方がもっとしんどいと思った。だから、思い切って伝えた。まだまだ一緒に仕事をしたい。でも、同じ学年団でなければ意味はない。そう思い、0か100理論で考えると、あまり辛くなくなった。新たな挑戦ができる喜びも感じている。

 

 わざわざ地元を離れ、培ってきたものを発揮して新たな環境で頑張れたらと今は思っている。後2ヶ月でどんな思い出たちができるだろう。悔いなく過ごす。

2024年1月を振り返って

 新年明けてから、もう1ヶ月が経とうとしている。こんな調子で時間が過ぎていくのだから、すぐに年をとるのも無理はない。3学期。現段階で、今年度の残りの登校日は33日となり本当に驚いている。一瞬で過ぎ去っていく。「毎日一日一日大事にしないとなあ」って常々思う。

 

 子どもたちは2週間の冬休みを経て、始業式元気に登校してきた。2学期終了間近から3学期には実習や職能があることを意識させ、心構えが薄まらないように冬休みに突入させたつもりだったが、やはり気が緩んでいる部分も多少あった。それは人間だから、仕方ないという見方もできる。

 

 そして、順番に校外での進路活動が始まった。初めてのことで、無事に終わるまでは気が気じゃなかった。でも、巡回に行ってくださる先生から報告を聞くと、よくやっているそうでホッとしていた。「やはり力があるのだな」と改めて思った。可能性は無限大だと。でも逆に、学校で見ている課題や直していかなければいけないことを企業でも指摘をされていた。いつも学校で言われていることを、校外でも言われたらいい意味でまた違った入り方をしていると思われる。第三者に言われる経験を積むというのも大事である。

 

 体力的にもよく頑張った。それ以降の通常の学校での生活も不安定になることもなく頑張れた。1年でそれができることが素晴らしい。のびしろしかない。

 

 超多忙な1月を過ごしてきたのだが、子どもたちがきちんと期待に応えてくれるため、やりがいも感じられていつも通り楽しく仕事ができていた。もちろん先生方ともワイワイとやれて楽しい時間を過ごせていた。そんな中、知らせは突然届いた。

 

 単刀直入に言うと、異動が決まった。今勤務している地域での異動は覚悟していたが、まさかこんなに早く地元に帰してくれるなんて(笑)これだから人生はおもしろい(笑)それにしても、今担任している子どもたちとの将来なんて考えちゃったりして、家族みたいに一緒に働いている学年の先生たちとの楽しすぎる生活を想像しちゃったりして、、、そんな夢は打ちひしがれて、それに関しては辛い。ずーっと一緒に働ける世界線はないものだろうかと真剣に考えた本当に子どもみたいな時期もあった(笑)でも、それはないし来年度もそのまま継続で同じ職場だとしても同じ学年団で働けることはないだろうと、全員現実を見始めた。(諦め切れた試しはないが笑)

 

 まあこのことについては、改めてこのことだけで記事を書こうと思う。長くなりそうだと今悟ったので(笑)

 

 来年度の話と並行しながらの1月は、「大変で疲れたなあ」とその一言だ。でも、あと2ヶ月で今年度も終わる。この2ヶ月大事にしたい。