その辺にいる大学生(21)

21歳の大学3年生が自分の考えを1000字以上で書いているブログです。

悔しさをバネに

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「悔しさをバネに」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 いきなりこんなことを言うのもなんですが、決して自分は綺麗に生きてきてはいません。ごくありふれた一般家庭で育ち、親が敷いたレールを走ったことがないので失敗することだらけで、マラソンで何度も転んでいる感覚です。「受験に失敗した」とか「家庭環境が悪い」ということは運が良いのでありませんが、自分の人生を引きではなく寄りで見てみると何事もトントン拍子に進んだ人生ではなかったです。ここで言う「綺麗に」というのも個人的な価値観なので、ある人にとってみれば「綺麗に生きてきているではないか」と言われてしまうかもしれません。

 

 「高校受験がなくて楽だったじゃん」「大学受験も第1志望じゃないか」「何も悩みごとなんてなさそうじゃん」とたくさん言われてきましたが、自分からしたら「そんなことだけで人生を総評している気にならないでくれ」と叫びたくなるほど強く思っていました。常に楽しそうに笑っているイメージがあると言われますが、悔しい思いは人一倍してきている自信があります。確かに、日々楽しく幸せに過ごしていることは間違いありません。でも、悔しさをバネにやってきたことも数多くあります。自分は才能もセンスも自慢できるようなことも何もないとこのブログでも書いたことがあると思います。才能もセンスもないけど、それでも大好きなソフトボールは続けていました。これは高校生になって少し経ったくらいの時の話ですが、5番で打たせてもらえるようになりました。夏を乗り越え、秋には初の県大会に出場できチームとしても絶好調で、振り返れば個人的にも6年間を通しても1番活躍できていた時期でした。しかし、その年の冬から年が明けて春までスランプに陥ってしまいました。バッターボックスにいくら立っても結果が出ない悔しさをしばらく味わっていました。何度もチャンスを与えてくれるチームに申し訳なく、顧問に「下位打線にして欲しい」とお願いをしに行ったほどでした。でも、そんなお願いをしに行った自分が情けなかったし、僅かながら活躍できていた自分を思い返すと涙が止まらなくなってしまったこともありました。「その悔しさを無駄にしたくない。必ずあの頃の自分に戻ってやる」と意気込み、打てていた頃の自分をイメージしてバットを振り続けました。高校2年生になる春休み明けくらいには調子も戻ってきました。

 

 悔しい経験はなるべくしたくないけど、必ず自身の成長に繋げてくれることは間違いないということを、自分は体感しました。あの悔しさがあったからその後もずっとクリーンナップを任せてもらえて、最終的には4番として期待してもらえていたのだろうと思います。悔しいことがあれば這い上がろうとします。その這い上がろうとする姿勢が大事なのではないでしょうか。悔しいことは絶対に無駄ではないです。悔しさをバネにステップアップしていきましょう。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「子どもは親の作品」を予定しております。ではまた次回。

 

我が子に限ってそんなことない?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「我が子に限ってそんなことない?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 どこからくる自信なのか分かりませんが、「ウチの子は大丈夫です」と言う親御さんがいます。その言葉を聞く度に「何を根拠に言っているのだろう」と思っています。子どもがいつどのような社会的な悪い言動をするか分かりません。いくら自身の育て方が完璧だと感じていても完璧であることはないと思っています。

 

 我が家は変わっているかもしれませんが、父に昔から「友達と遊んでくる。行ってきます」と言うと、「行ってらっしゃい。万引きするなよ」となぜか言われていました(笑)「するわけない。何でそんなこと言うの?」と聞いてみたことがありました。そうすると「何があるか分からない」と返ってきました。ちなみに「万引きするなよ」は21歳になった今でも言われています(笑)でも、様々なことを考えるようになった今、それはとても大切なことではないだろうかと思うようになりました。現実、自信を持って、自身が思ったように育ってくれていると表面的には思っても、その通りに育っているとは言い切れないと思います。きっと父は自身が育てた子どものことが心配なのだろうと思います。出かける時に毎度「万引きするなよ」と子どもに言うというのはやりすぎだと思いますが、自身の子育ての理想が独り歩きして現実も実は自身が思っている育ち方をしているとは限らないため、常に子どものことを気にかけて観察することが大事であると思います。

 

 自分の父は本当に子育てに自信がなさすぎるタイプなのだと思います。でも、アルバイトの家庭教師で出会う親御さんは「勉強は苦手ですが、良い子なんです」と言わんばかりのアピールをとてつもなく感じ取っています。子育てに自信があることも、どのような子どもを育てるかという理想があることも良いと思うし、自由です。しかし、それだけで終わってはいけないということです。自信や理想を持った上で、常に子どものことを見るということをサボってはいけません。「こう育てている」と思っていても「こう育てているつもり」になっていては、気がつけば大きな事件に発展したり学校で問題を起こしたりするような子どもに育ってしまっている状態が目の前に広がることになります。だから、「我が子に限ってそんなことない」と言い切ることはできないのではないでしょうか。基本的に子どもから目を離す瞬間はあってはならないと思います。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「悔しさをバネに」を予定しております。ではまた次回。

 

なぜ褒めてあげないのかが分からない

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「なぜ褒めてあげないのかが分からない」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 家庭教師をアルバイトとして雇っていただいている中で、この2年間でたくさん学んだこともたくさん悩んだこともありました。驚いたことも発見したこともたくさんあったのですが、その中でも「先生ってよく褒めてくれるよね」と言われたことが衝撃でなりませんでした。耳を疑うとはこのことかと思ったくらいです。自分も「今生徒を褒めている」という意識がなかったので、その程度のことが生徒にとっては嬉しいことだったのかと思うのと同時にこの程度褒めたことくらいで嬉しいと思ってくれるということは、どれだけ普段「褒められる」ということをされていないのかと怖くなりました。少し学校のテストで点数が上がったら、たとえ目標点数でなくとも内容を見てできることが増えたら褒めるということすら親御さんはしていないのではないか不安になりました。だから素直に「お父さんやお母さんから褒められたことある?」と聞いてみました。そうすると、「あんまり褒められることはない。目標を達成していないことを棚に上げてクラスの点数が低かった子と比べて喜んでいる場合ではないと言われる」と返ってきました。以前自分は「周りの人間と比べるな」とこのブログで語っていますが、ここでは周りの人間と比べるどうこうという話は少し置いておきたいと思います。それ以前に、まず褒めなければならないのではないかと自分は思うわけです。第一声で「良く頑張ったね」と言うことで全然印象が違うと思いませんか?子どもがクラスの子の点数を出して比較して自身の方の点数が良かったとわざわざ言うということは承認欲求以外の何ものでもないと思います。

 

 子どもは親御さんに1番に褒めて欲しいし、評価して欲しいと思っています。褒めることってそんなに難しいことではないはずです。しかし、それができない親御さんがいらっしゃるということは本当に問題であると思います。自分も親に厳しく育てられた反面たくさん褒めて育ててもらいました。小さなことでもできるようになれば褒めてくれたし、「すごい」とたくさん声をかけてくれました。やっぱり嬉しかったし、認められていると思えることに喜びを感じていました。いけないことはいけないと叱るべきですが、できるようになったことや良い方に変化したことに対しては素直にそしてこまめに褒めるべきだと思います。褒めることがどれだけ大事か分からないといけないのではないでしょうか。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「我が子に限ってそんなことない?」を予定しております。ではまた次回。

後輩に喧嘩売る人って何がしたいの?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「後輩に喧嘩売る人って何がしたいの?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 自分は中学校・高校の部活で、「先輩」の立場を経験したことも「後輩」の立場を経験したこともあります。その後輩の立場に立った時に疑問に思ったことがありました。それは「先輩なのになぜ自分にちょっかいをかけてくるのだろう」というものでした。ちょっかいというのも単にダル絡みをしてくるということではありません。中学校でソフトボール部に入部した時、高校生の先輩も一緒に練習していたので、正直高校生の先輩が怖かったです。当時4~5つ年上の先輩はとても大人に見えていました。最初はソフトボールに集中するというより、「先輩に怒られないようにしたい」と思っていました。単純に小学生の時にはなかった先輩と後輩の縦社会に対して緊張と不安を抱いていました。

 

 そして、1つとても覚えていることがあるのですが、シートノックの時に顧問が不在で先輩がノッカーを率いてくれました。そこまでは良かったのですが、故意に取りにくいボールばかりを打って技術がなく捕球できない自分たち後輩を見て、アドバイスをくれるわけでも鼓舞してくれるわけでもないのです。むしろ鼻で笑っていました。「わざわざそのようなことをする意味は何なのか」「何がしたいのか」本当に何度考えても分かりませんでした。その上、自分は腹を立てていました。そこで、先輩に噛みつく後輩はいて当然だと思ったのです。「絶対に先輩のポジションを奪ってやる」「先輩には負けません」というのはちょっかいでもないし、ダル絡みでもありません。でも、先輩が後輩によく分からないアクションを起こすことは納得できません。今も、先輩からの何のサインだったのかもよく分かりません。ただこれはあくまでも予想ですが、下手くそなのにも関わらず、試合に出場していたからだと考えます。

 

 この先輩のように後輩に喧嘩を売るのではなく、常に上を見て「先輩に早く追いつきたい、追い越したい」と思える人間になりたいと強く思うようになりました。立派な先輩なら後輩に対して無駄なことはしないと当時中学1年生だった自分にも分かりました。正直、その先輩はソフトボールはとても上手で誰もがプレーを真似したいと思うプレイヤーでした。だけど、自分は後輩に喧嘩を売るような先輩を憧れることはできませんでした。だから、当たり前ですが反面教師として自分も先輩になった時、もちろんそのようなことを後輩に対してしたことはありません。これからも後輩に喧嘩を売るのはとてもかっこ悪いことだと恥ずかしいことだと思える人間でいたいと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「なぜ褒めてあげないのかが分からない」を予定しております。ではまた次回。

 

今を戦えない者に未来を語る資格なし

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「今を戦えない者に未来を語る資格なし」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 運動部に所属している方、または所属していた方の共感を得ることができるのではないかと思っているのですが、名言Tシャツを購入したことはありませんか?例えば「諦めたらそこで試合終了」と背中に書かれたようなTシャツです。自分もスポーツ店で買ったことがことがあり、その中に「今を戦えない者に未来を語る資格なし」と書かれたTシャツを買ったことを思い出しました。当時は単純に「かっこいい」と感じているだけでしたが、今となればとても深い言葉のように感じます。

 

 自分は常に未来のことを考え、それまでにしなければならないことを順序だてて計画を立てることをするべきだと思っている人間ですが、もちろん未来を語るのなら今を戦うのは当たり前だと思っていました。今を戦えない者に明るい未来はきっとありません。もちろん夢も目標も理想も好きなだけ語ってください。でも、その夢も目標も理想も現実にするには今を戦わなければいけません。自分は9年前の冬に中学受験をしました。地元の公立中学校へ通わず、片道30分電車に乗って私立中学校へ通いたいとぼんやり考えた始めたのは小学4年生だったかと思われます。そう思った時に何もせずに小学6年生を迎えて、受験だけをしていたら合格していなかったかもしれません。親に中学受験をしたい旨を伝え、中学受験に対応している塾に通わせてもらえ、小学校の勉強と並行して中学受験対策の勉強をしていなければ合格していなかったかもしれません。何かを達成しようと思うのなら、しっかりと準備をすることが大切です。

 

 夢や目標、理想はあるけど、その夢や目標、理想が遠すぎてなかなか実現する日が抽象的に見えてしまい、今を戦えないという人はいませんか?生きていて日々夢や目標、理想に向かって努力することは決して簡単なことではありません。運命の分かれ道のその時が来るまでまだまだ時間はあるし、夢や目標、理想が本当に実現するのかという不安があるのも分かります。しかし、せっかく抱いた夢や目標、理想を現実にするなら、絶対に今を戦わなければなりません。未来はどうなるかなんて誰にも分からないけど、迎えたい未来があるのなら今を戦っていきましょう。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「後輩に噛みつく人って何がしたいの?」を予定しております。ではまた次回。

 

 

公務員を煙たがるのはお門違い

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「公務員を煙たがるのはお門違い」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今日のテーマの「公務員」というのは主に学校で働く「教員」のことを指していますので、それを前提に読んでいただければと思います。自分の父は中学校教諭です。母も結婚前までは養護教諭でした。昔から親が公務員ということに関して誇らしいと思ったことはありませんでした。むしろ「自分は公務員に養ってもらっているのか」とまで偉そうに思っていました。そう思うようになったのは、小さい頃に「公務員って楽な仕事だ」「安定した仕事だからやっているんだ」という言葉が耳に入ってきてしまったことがきっかけでした。それが原因で大好きな父のことも、父がしている仕事のことはなかなか認めることができませんでした。自分も正直なかなか「出会えてよかったと思える教師」と出会うことができなかったこともあり、「父もこんな感じなのか」と勝手に決めつけていました。しかし、時を経て自分は父と同じ公務員を目指す道を選び、父がどれだけ大変な仕事をしていることに気づき、そしてしっかりとやりがいのある素晴らしい仕事だということが分かりました。今では公務員を30年以上続け、休みもないくらい学校へ行っていたのにも関わらず、母と自分たち子どものことは絶対に忘れることなく、他愛もない会話をしたり遊びや旅行に連れて行ってくれたりした父を尊敬しているし、心の底から感謝しています。

 

 そして、今年2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止を受け、180°日常が変わってしまった方が多いと思います。収入が減ったり、学校や職場に行けなかったりと前代未聞なことが次から次へと現実として皆さんに降りかかってきたことでしょう。4月上旬、日本全国に緊急事態宣言が発令され5月いっぱいまで自粛生活を余儀なくされました。その影響で大きく変化したことは、今まで通りの給料が稼げなくなってしまったことだと思われます。そんな中、公務員は仕事は休みだったけど、給料は変わらず振り込まれていたと思います。(この先給料が減ったり、ボーナス額が下がったりするかもしれないそうですが。)これによる「公務員は給料が今まで通りでズルい」という声をネットで見ました。確かに、日常がなくなってしまった方からすれば日常にそこまで変化のない公務員を目の敵にしたくなるのもよく分かりますが、公務員は楽な仕事だと勘違いした上で攻撃するのはやめて欲しいという思いがありました。だから、煙たがるのは自由ですが、公務員の苦労を知らずに「公務員なんて…」と煙たがるのはお門違いなのではないかと思っています。

 

 逆に言えばどれだけ頑張っても給料が上がるわけでも、どれだけサボっても給料が下がるわけでもないし、それなのにも関わらず特に学校で働く教員の仕事は超長時間です。「安定している」というところにしか目がいかず、「公務員は気楽で良い」という世間の声を悲しく思います。やりがいを感じられなければ絶対にできる仕事ではありません。世の中の意見がなかなか変わらなくても、このブログを読んでくださった方には公務員もいなくてはならない存在であることを分かっていただき、公務員に限らず公務員以外のどんな職業に対しても良いところを見つけて評価できるようになっていただきたいと思います。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「今を戦えない者に未来を語る資格なし」を予定しております。ではまた次回。

 
 

 

油断できる日は来ない

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「油断できる日は来ない」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今日のお話は簡単に言えば、あぐらをかいているとそこで成長は止まってしまうし、余裕をぶっこいていると自分の席がなくなってしまうというお話です。自身が目指していたところにたどり着けば一安心する。その気持ちも十分に分かります。ですが、それで本当に良いのでしょうか。

 

 中学校と高校の部活で6年間ソフトボールをしていて、中学1年生で入部した時に「エースで4番になりたい」という目標を持っていました。正直、初心者でセンスも才能もない自分がそのような大きな目標を達成するには相当な努力が必要だと思っていたし、難しいことだろうとも考えていました。でも、ブログで書いた通り夢は大きく持っていたいと思っている人間なので、その大きな夢を必ず叶えたいと思っていました。とにかく先輩をマウンドに上げないように、そして4番のポジションから引きずり下ろさなければならない状況で、放課後の練習に加え自宅に帰ってからも素振りや投げ込みにも必死でした。休日にはたまに父にバッティングセンターに連れて行ってもらっていました。しかし、やはり案の定目標を達成し、夢を実現するには長く険しい道が待っており、先輩からも「今のあなたならまだ私は焦らない」という雰囲気が出ていました。4番で試合に出場させてもらえることもありましたが、なかなか結果が伴ってこず、チャンスをものにすることはできませんでした。いくら努力をしても、経験を積んでもまだまだ随分前を走っている先輩の背中は見えて来ないのが現実でした。でも、そこで諦めずに練習を積み重ねていきました。すると、エースには先輩がいる間にはなれなかったけど、4番になることはできました。「やっと4番の座を掴んだ」と本当に嬉しかったのを今でも覚えています。「4番としての仕事ができている」という達成感と充実感を味わえ、チームに貢献できていると思えるのが中高時代の1番の喜びでした。その時先輩はどう思っていたのか分かりませんが、自分ならきっと焦っていたと思います。もしも「自分なんかより打ててるし頑張って」と笑顔で後輩に言ったとしても、1人になった時絶対に泣いてるだろうとも思います。だから、そう思わないためにも、「あの時気を抜かずに必死になっていれば今頃…」と後悔しないためにも油断は禁物だと改めて思いました。

 

 「楽勝」「余裕」だと思っていても、いつ足をすくわれるか分かりません。つまり、油断できる日は来ないということです。社会へ出たら椅子取りゲームで、「ずっと必死になれない人はいらない」と学生時代よりもっと厳しく、自身のポジションを確立しなければならないでしょう。是非、油断せず努力できる人間を目指しましょう。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「公務員を煙たがるのはお門違い」を予定しております。ではまた次回。