その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

現状に感謝する

 試験も終わり、読書する時間ができた。読みたかった本たちもどんどんこれから読み進めていくが、ちょうど昨日読み終わった本の感想を書いていこうと思う。短く言えば、「小さな感謝」が大事であるということが書かれていた。

 

 自分は、感謝の気持ちを大事にしている。こんなこといちいちこんなところで公表するなんてことはしないし恥ずかしいが、今日は全て包み隠さずに話したい。

 

 恥ずかしいことだが、自分は周りの人たちに支えられて生きてきた。その自信しかない。何もできないし、特にこれと言って自慢できるようなものもない。自分でもここまで生きてこられたことが奇跡でしかないと思っているほどだ。だからこそなのかもしれないが、周りの人たちへの感謝の気持ちが人一倍ある。「人は一人では生きていけない」ことを大変理解しているつもりだ。

 

 大して生きていく上で役に立つような能力がない。そこを周りに助けてもらってやっと生かされていると思っている。昨日読み終わった本には、「我々は神様に生かされている」と言うようなことも書かれていた。自分は、名前の漢字にしめすへんが入っている。「困った時に神様に助けてもらえるように」という意味を込めて名付けられた。神様という見えない存在に生かされているということが、本を読んで再確認できた。

 

 生きているといろいろなことが起こる。楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、悔しいこと…。泣いたり怒ったりしたいことももちろんある中で、常に感謝するということは正直難しい。それでも、感謝の気持ちは常に持っていなければいけないと思うのである。そして、昨日読み終わった本にも書いてあったように、小さな感謝を大事にしなければいけない。

 

 自分の周りの人は、躊躇いなく「ありがとう」と言ってくれる人が多い。その状況がまずありがたい。感謝の気持ちはすぐ伝えることやいくら小さなことでも伝えることなど、本に書いてあった人間関係が上手くいくコツとして書かれていたことができているか振り返ってみた。社会人になって、大人の人たちと飲みに行くことが圧倒的に増えた。家に着いてからもしくは帰っている途中に必ず、一緒に飲んでくれた人にありがとうLINEを送る。距離の近い人なら、無事に帰れたかどうかも確認する。こんなこと当たり前なことだと思っていたが、非常に大事なことのようだ。続けていきたいと思う。

 

 また、感謝されることが原動力になっている人というのが、どうしたっている。言い換えれば「見返りを求める」ということだ。かなり前に書いた記事に見返りを求めることは云々かんぬんということを書いた記憶があるが、きっとその時と考えは変わっていない。見返りを求めて、感謝されることを期待して行動するのは、承認欲求が丸出しで心に余裕がない人だと自分は思っている。感謝というのは、自然にしてされるものだと考える。

 

 そもそも生きていることや、食べられること、ふかふかの布団で寝られること、仕事があること、家族が元気で仲がいいこと、一緒に学んで考えてくれる友だちがいること…。当たり前のことのように思えて、一歩外の世界を見てみると当たり前なんてことは全くありえないことがきっと分かる。嫌なことがあっても、少し心を落ち着かせて他のことに目を向けてみて、恵まれていることが感じられると、かなり生きている今に感謝できるタイミングが増えるのではないかと思う。「ありがとう」は魔法の言葉である。