その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

人との巡り合わせ

 人との出会いは大事にしたい。本当に自分は、才能がない。ただ、運があり人には恵まれてきた。「そういう人ってその人自身がいい人だからだ」と書いてあるコラムをいつか読んだことがあった。が、しかしそんなわけがない。常識がなくこんな無礼者に誰が助けの手を差し伸べてくれるのだ。神様がそんな助け手になってくれるはずもない。そんな甘い世界があるわけがない。でも、自分は本当に人にとても恵まれている。

 

 振り返れば、幼稚園の頃から。いや、もっと遡れば家族からだ。祖父がいて祖母がいて父がいて母がいて妹がいて。産まれた時から、愛して育ててもらった。もちろん一緒に住んでいるからこそ、腹を立てることもムカつくこともあったけど、それでも大好きな家族だ。家族に愛してもらえない子どもや好きなように生きていかれない子どもがいることを知ってから、余計に感謝が止まらなくなった。

 幼稚園。自分は幼稚園が嫌いだった。理由は、「ママと離れたくないから」。愛される家庭で育ててもらえた証拠でもある。とにかく、幼稚園に行きたくなかったのだ。毎日園門の前で園舎に泣きじゃくって入れなかったあの頃が懐かしい。それでも段々慣れてきて、幼稚園に安定して登園できるようになった。年長の時の担任の先生が優しくて大好きだった。行事の全体集合写真なんかでは、その先生の隣にピッタリくっついて自分がいることがほとんど。それだけ、自分の幼稚園での心の拠り所になってくれていた存在だったのだろう。卒園式で先生と離れる時、泣いたような気もする。

 

 小学校。サッカーをしていた頃の話。自分は、主人公になりたい欲があった。漠然とした主人公というのは、今になれば何のことやら分からないが(笑)だから、ポジションもFWに憧れていた。「点取り屋」になりたかったのだ。でも、実際のポジションはDF。守りに徹するポジションである。「それの何がかっこいいんだ」「みんな点取り屋になりたくてサッカーを始めたんだろ」とにまで思っていた。今思えば、その考え方がカッコ悪いのだが。しかし、自分はこのタイミングでそれぞれのポジションの役割と見せ場があることを知るのだ。卒団式で、サッカーボールの記念品をもらった。そこにコーチから書かれていた言葉が、「明日に向かってパスを出せ」だった。とても感動して、あまり目立たないDFのポジションに魅力を感じられた、やってきて良かったと思えた瞬間だった。とても厳しいコーチだったけど、自分が向いていると思ってポジションを決めてくれていたことや任せたいと思ってくれていたことを知って、DFとして縁の下の力持ち的な位置でサッカーを続けられて良かったと思えた。コーチに感謝している。

 

 中学校、高校。中学受験をして中高一貫校に進学した。生きていく上で何を大事にしていくべきかを見失っている時に出会ったのが、のちにいろいろとゴタゴタあった中3の時の担任である。どこかでプレッシャーになっていた母からの「勉強が一番人生において大事」という考え方がずっと心にあったが、担任は「勉強が全てではない」と教えてくれた。冷静に考えると、挨拶ができることや真面目であること、素直であることなどの方が大事であるということが分かっていった。やはり教師になるきっかけとなった人でもあるし感謝している。

 

 大学。教師になるためだけに、大学へ進学することを決めた。自称進学校ということで大学へ行かないなんて言っていたら、大人たちは非難轟々だったのだろうなとたまに思ったりする。大学で3年からゼミというものが始まった。これまでの講義を受けてきて、教授を選び研究したことができそうなゼミを選ぶ。研究したいことは、あまり考えず自分が感銘を受けた教授のゼミへ入った。定員オーバーだったが、入ることができた。自分が受けてきた教育の幅を持たせてくれた教授にはたくさんの学びをもらえた。今の自分の教育観を作ってくれた一人でもある。感謝している。そして、自分の恩人である特別支援学校での教育実習で出会った指導教官である。今でも付き合わせていただき、たくさんの学びをもらっている。決して偉そうにしないで、新しいものを吸収して子どもと真正面から向き合うところが本当に好きだ。自分の人生の進むべき方向を示してくれた恩人。大感謝である。

 

 そして、社会人。去年が社会人1年目で、たくさんの不安を抱えながら再び初めての地で一人暮らしを再開し、新生活が始まった。こうなったのも、どこからか自分を見つけて直々に連絡をしてくれた人のおかげだ。去年退職されたため、もうお会いすることはきっとできない。でも、ずっと感謝の気持ちを持っている。こんないいご縁に恵まれたのだから。仕事は環境と人間関係が命だと聞いたことがあるし、実際に働いてみてそう思う。去年、学年主任から手取り足取りたくさんのことを教えてもらって、相担の先生とは毎日笑ったり悩んだりしながら学級経営ができたし、1年目の危うい後輩を表情一つ変えずに常に優しくフォローしてくれた。それがありがたかったし、たくさんの恵みをいただいた。迷惑をかけようともヘマをしようとも一切責めずにカバーしてくれた。こんな後輩に優しい先輩がいるのかと、ありがたい1年目を過ごせていると感じていた。今でもたまに飲みに行かせてもらっていて、別の学校になっても関係が続いていることが非常に嬉しい。そして、2年目の今年。学校全体も先生方の異動が激しく雰囲気がガラリと変わり、学年団ももちろん変わり担任する学年も変わった。また新たな緊張があったが、そんな心配無用なほどに楽しくおもしろい学年となっている。自分が地元に留まっていたらと思うと、このご縁はなかったわけで人との巡り合わせは分からないもので、かなりその人の人生に影響を及ぼす。こんな笑って過ごせる毎日を送っていいのかと思うほどに、恵まれていると感じる。こんな学年団になれるなんて思っていなかったし、誰も思っていなかっただろう。本当に嬉しいことだ。

 

 ご縁は大事にしたいと思うようになった。自分はいい縁に恵まれているからこそ、思えることなのかもしれない。でも、自分をここまで導いてくれた全ての縁に感謝したい。こんなに何も能力もセンスもない人間に降り注ぐいい人との巡り合わせなんてあっていいものか。感謝して自分のできることを着々とやるんだ。