その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

人生の大きな振れ幅

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「人生の大きな振れ幅」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 皆さんがそれぞれどのような人生を送っておられるのか分かりませんが、自分の人生はなかなかの大冒険です。でも、そういう大きな振れ幅のある人生を歩めていることに充実感を感じています。もちろん、家族にはたくさんの迷惑と心配をかけてしまったので、その点については申し訳なく思っているし、それでも見捨てずに今の今まで育ててくれたことに感謝しています。

 

 幼稚園、小学校、中学校、高校、公民館、バス停、習い事の場所等は全て実家の近くにあり、とても恵まれていた環境で育ちました。電車の最寄り駅は遠かったですが、とにかく学校が近くであることはありがたいと思っていましたし親もそう言っていました。でも、自分は幼稚園、小学校までは実家の近くの公立の幼稚園、小学校に通っていましたが、中学受験をすると言い出して中高一貫校に通うことが決まり、中学校から電車通学でその生活を6年間続けました。もちろん私立ということですので、給食はありませんでした。母が毎日弁当を作ってくれていたし、最寄り駅まで送り迎えを毎日してくれていました。本当に感謝しています。「実家の近所にある公立中学校に通っていたら、高校はどこに行っていたのだろう」と考えたことがありますが、いくら考えても分かりません。ちなみに、自分の妹は中学校は実家の近所の中学校に通っていましたが、高校は公立高校に電車通学をしていました。ここまで考えても、自分が幼少期に考えていた人生プランと大きく違うことが分かります。そして、私立中学校に通って1ヶ月程が経った頃に「飛び込む世界を間違えたかもしれない」と思い、新たな夢を見つけようとすることになりました。そこから、中学校の教員になりたいという夢を掲げ、部活動もより一層力を入れ、大学受験も校風や王道と呼ばれる進路を無視して現在があります。通うはずだった学校にも行っていなければ、捨てた夢もたくさんあります。それに必死についてきてくれたであろう家族の存在は本当にありがたいです。

 

 大学受験の際は、邪道の進路だと思われても仕方ないと思っていたので、自分は担任の先生に「この大学を受験したいです」ということを伝えたら、「分かりました」と二つ返事で困ったことがあれば頼って欲しいといった話をされました。反対されたとしても自分の意志を曲げるつもりはありませんでしたが、ケンカになっても良いという覚悟で話をしたので、ホッとした感情を覚えています。たくさんの人の支えで今の自分があります。これからも感謝の気持ちを忘れずに人生を送っていきたいです。そして、誰に何と言われようと波乱万丈な人生だと言われようとも、おもしろい人生だと胸を張っていたいと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「間違えたことこそが輝き」を予定しております。ではまた次回。