その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

間違えたことこそが輝き

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「間違えたことこそが輝き」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 人間誰しも生きていれば、間違えます。「テストで誤答をしてしまった」「電車のダイヤを平日と休日を間違えた」なんてことはざらにあります。間違えることって学生の頃は、とても恥ずかしいと感じ間違えることを恐れてしまうことが多いと思います。笑われたくないし、バカにされたくないという感情がどうしても先行してしまうからです。人前で転びたくはないし、授業で指名されて発表して間違えたことを言いたくないというのは自然のことであると思います。でも、長い人生で考えると転んでしまうのも間違えた発言も石ころ以下の小さなものです。それですら財産となって輝く日が来ると自分は思っています。

 

「間違えた」という論点とはズレてしまうのですが、自分が「負けた」ということが財産となっていることについてお話させていただきたいと思います。中学校・高校の6年間、部活動でソフトボールをしていました。市内でもビリだと言われてもおかしくないほどの弱小チームでした。それでも自分はソフトボールが楽しかったので続けていたし、強くなりたいという気持ちももちろんありました。弱小チームだったので、正式に数えたことはありませんが、通算負けた試合の方が圧倒的に多かったであろうと思います。でも、その試合も全て財産であるし、たまに勝てた試合の方が覚えているのではないかと思われるかもしれませんが、圧倒的に負けた試合の方が覚えています。特に覚えているのが、1つ上の先輩が中学校ソフトボールを引退するという引退試合でサヨナラ負けをしてしまった試合です。正直、負け慣れをしてしまっていましたが、勝てるかもしれないと思った試合で負けてしまったことがとても悔しかったです。それを今でも覚えているということは本当に印象的な試合だったということになると思いますし、その悔しい思いも財産になっていると思います。

 

 何事も捉えようによって見え方が変わってくるだろうと思います。間違えを間違えのままインプットすると、それはもちろん間違え以上でも以下でもありません。でも、どうせなら間違え以上でインプットしたいと自分なら思うのです。そうするためには、間違えたことをマイナスなことと捉えるのではなく、「間違えたことも含めて今がある」と思うようにしなければいけません。難しいことかもしれませんが、間違えたこともそこから学ぶこともきっと多く財産となるはずです。そう信じて大いに間違えをプラスに捉えていきましょう。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「都合の良い人にはなるな」を予定しております。ではまた次回。