その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

道徳教育

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「道徳教育」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 小学生になる直前、今までのように「遊び」が中心だった幼稚園生も終わり、これからクラスメイトと机を並べて「勉強」という時間が主になるということに、楽しみと緊張が混在した状態でした。そして、小学校に入学して初めての道徳の時間がありました。その時に今でも忘れもしないしなぜあんなことをしたのか分かりませんが、「隣の席の子と雑巾絞り対決をしよう」ということで雑巾絞り対決を実際にやりました。ルールは、水に浸した雑巾を力いっぱいに絞って、その後に担任の先生がどちらの雑巾が限界まで絞れているかという完全なる力勝負でした。それが人生初の道徳の授業だったので、「道徳っておもしろい科目だ」と勘違いをしていました。皆さんもよくご存知であろう教材「心のノート」をまだ使って授業をしてもいないのに、「1番好きな教科は道徳です」と言っていた当時の自分がおもしろくて仕方ありません(笑)そこから段々と道徳の授業を受けていく上で、特に好きだという感情はなくなっていきました。理由は単純に「おもしろいと感じない」からでした。

 

 そこからカトリック系の中高一貫校の中学生になりました。今まで受けてきた「道徳」ではなく「宗教」がありました。はっきり言って、小学校6年間で受けてきた「道徳」と中学校高校6年間で受けてきた「宗教」を比べてみて「道徳」で学んだであろうことは何一つ覚えていないけど、「宗教」で学んだことは鮮明に覚えています。キリスト教を信仰している家庭でもないので、最初はお祈りをしたり聖歌を歌ったりすることに抵抗がありました。朝礼で祈り、聖書を読み、聖歌を歌い、授業前後に祈り、終礼で祈り、行事があっても祈り…このような毎日を送っていると、キリスト教に全く興味がなくて入学した自分でも、「キリスト教っておもしろい」と思うようになりました。中学3年生で行った長崎修学旅行でも教会にたくさん行きました。やはり宗教をキリスト教を通じて学ぶことがたくさんありました。

 

 結局何が言いたいのかと言うと、公立学校の道徳教育で実際何を子どもたちの何を育めているのでしょうか。道徳教育しか受けてきていない子どもに「道徳で学んだことはなんですか?」と聞くと、綺麗な答えである模範解答や特になしと答えるのではないかと予想しています。例えば、道徳を学んでいた時の自分は「自分のゴミを捨てることが当たり前」だと言っていましたが、宗教を学んでいた時の自分と今の自分は「誰がポイ捨てしたかも分からないゴミも自ら捨てることが習慣となっている」という違いが出てきています。「公立学校も宗教でキリスト教を教えるようにしなさい」という法律を作ることはそう簡単にはできないし、この先もありえないことだと思っています。だからせめて、キリスト教を学ばせるということではなくキリスト教を「通じて」学べることを提供していくべきだと思います。自分も教員になった時、現段階での道徳教育のもう1歩2歩奥の教えをしていくことを目指していきたいです。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「適材適所」を予定しております。ではまた次回。