その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

教育実習を終えて②

 大学卒業と同時に自分は3つの免許を取得見込みだ。中学校・高等学校・特別支援学校の3つである。中学校と高等学校はどちらかへ教育実習へ行けばどちらの免許も取得可能だ。しかし、特別支援学校の免許は特別支援学校へ行かなければ免許は取得できない。というわけで、自分は先月2週間特別支援学校で教育実習を終えた。今日は、そこで感じたことや学んだことを綴っていけたらと思う。

 

 とにかく自分は6月の教育実習で「教育実習」というものに対して、不安と恐怖しか感じられなくなっていた。先月の教育実習が近づいてくるとずっと怯えることしかできなかった。学びたいという気持ちよりそんなマイナスな感情が出てしまうことに自分自身残念に思っていた。どんな2週間になるのかビクビクして、早く2週間が終わることを考えていた。

 

 そして、脚の状態も何とか間に合い2週間の先の分からない不安な期間が始まってしまったのである。教育実習初日、自分はとにかく行くのが嫌だった。知らない学校、知らない先生方…何度も申し訳ないがとても不安だったのである。教育実習が始まる約2週間前ほどに一度実習校へ出向き、オリエンテーションを行い指導教官の先生とも挨拶を交わした。指導教官との相性は教育実習を左右する。それは自分が一番よく知っている。だから、今考えるととても申し訳ないのだが、指導教官の先生のことはとても警戒していたと思う。オリエンテーションの際に、研究授業のことも話し合った。そこで、今年6月にアキレス腱を断裂したことを伝え、体育の授業は難しいかもしれないと話した。だからと言って、自分は小学校の免許を持っていないため「どの教科でもやります」といった発言もできない。自分もどうしようと困っている中で「体育やろう。実演とかなしで生徒に説明して伝えてくれたらいい」と言ってくれた。とても配慮してくださる先生だと第一印象がとてもよかった。

 

 話を戻そう。教育実習初日は不安で不安で職員室で挨拶をして、その後生徒の前で挨拶をして母校でも何でもないし、受け入れられるのかどうかも分からない状況はやはり怖かった。緊張で気さくで明るい指導教官とも生徒ともまともに話せていなかった。しかし、その日の教育実習ノートを見ると、指導教官からびっしり書かれたコメントがあった。とにかく怒られていないコメント欄を見るのが初めてで、自分は感動して泣いてしまった。教育実習のイメージがガラリと変わった瞬間だった。「特別支援学校を知ってください」「頑張りましょう」なんて寄り添ったようなコメントを見たことがなかった。教育実習ってこういうものなのかと思った。一言で言えば、「2週間乗り越えられる」。これだった。

 

 そこから、生徒とも指導教官ともとても近い距離感で関係を築くことができ嬉しいことの連続だった。教育実習4日目、自分は初めて授業を任せてもらえるいわゆる実習授業の日だった。60分間の体育の時間をいただけた。特別支援学校で授業を行ったことがなかったため、自分はまた新たな緊張感に包まれていた。しかし、配属されたクラスの生徒たちと良好な関係を築くことができ本当に素直で優しくて真面目だったため、自分も授業を楽しく行えた。その日の教育実習ノートに指導教官からも「時間配分もよく堂々とできていた」とお褒めの言葉が書かれていた。自分はぶっちゃけ怒られている教育実習ノートしか知らない。まさか褒めてもらえているなんて、思ってもみなかった。でも、自分はここまで来ても半信半疑だった。「教育実習で怒られないなんてありえない」「指導教官も初対面で遠慮しているだけで、言いたいことなんて山ほどあるはずだ」と思っていた。しかし、何を聞いても優しく教えてくださり、むしろ指導教官本人から教えてくださることも多かった。なんて恵まれた教育実習なんだと感謝の気持ちが止まらなかった。

 

 教育実習では研究授業というのがある。教育に関係している者からすれば当たり前の話だが、そうでない人からすれば何のことか分からないであろう。冒頭ではサラッと流してしまったが、ここではきちんと説明をしようと思う。研究授業とは、簡単に言えば教育実習生が2週間であるなら2週間、3週間であれば3週間その期間の集大成を校長先生をはじめたくさんの先生方にも参観していただくような教育実習生にとっては一大イベントとなるような授業のことである。その日が近づけば、学習指導案というどのような授業をするのかが誰が見ても分かるような授業案が書かれた紙を先生方の人数分印刷してホッチキス止めをして配らなければいけない。ただ文で見るとそこまで大変ではないと思われるかもしれないが、これが何と言っても言い方は悪いが最も厄介なものである。指導教官に見せては修正箇所を聞き、また自分で修正していくループ。自分も何日も前から作成にとりかかっていたが、幾度となく修正に励んだ。6月の教育実習でももちろん学習指導案は作ったが、指導教官からのアドバイスなんてものはないに等しかった。若干の修正をし、印刷から配布まで全て自分で行い、これが当たり前のことなのだと認識していた。しかし、先月の教育実習では指導教官が19時まで付き合ったくださり、研究授業の前日は遅くなると思って「遅くなったら家まで送っていくってお母さんに言っておいて」とまで言ってくださった。本当にありがたかった。自分のために一生懸命してくれる存在は心の底からありがたいと思うし、本当に嬉しかった。そこで、指導教官に「6月の教育実習ではもっと厳しく言われたんじゃないの?」と言われたのだが、ほとんどアドバイスもなかったためこれが一般的だと思えなかった。結局、職員室で指導教官と共に学習指導案の修正を繰り返し、帰ることができた。その際も「遅くまでご苦労様!明日のために早く寝てよ!」と声をかけてくれた。

 

 次の日、研究授業当日。朝、指導教官に教育実習ノートを持って「おはようございます」と言うと、「おはよう。昨日はお疲れ様だったね。今日は緊張せずに思いっきりやってもらったらいいから!」と言ってもらえた。どれだけ優しいのかと思った。研究授業の前日に1日の感想として教育実習ノートに研究授業の抱負みたいなものを書いていた。その返事として昼休みに教育実習ノートを早々と返してくださったのだが、「学習指導案の作成お疲れさまでした。私の指導不足で申し訳ない限りですが、素直で純粋な気持ちで聞いてくれるので教えがいがあります。研究授業頑張れ!」と書いてくださっていたのだ。本当にまた涙が出た。とにかく嬉しかった。誰がどう見ても未熟な実習生であるのに、そのようなことを言ってくださる指導教官の存在が自分にとってとても大きなものだった。自分は指導力なんてものは求めていなかった。自分に興味をもってもらえるかどうか、それだけだった。その言葉で研究授業は何事もなく無事に自分も楽しみつつ終えることができた。その後の反省会でも指導教官は自分のことをフォローしてくださりとても心強かった。その日の教育実習ノートにも「堂々と落ち着いて進められていました。まるで職員のようでした」ともったいないくらいの言葉で褒めちぎってくれていた。逆に怖くなったけど、指導教官の言葉が全てだと思うと自信がついた。

 

 そして、早くもお別れの日。配属されたクラスに在籍している生徒は、5人で高等部の3年生だった。これまた特殊で就職を目指すクラスであった。だから、それこそ実習を終え就職面接を間近に控えた生徒たちと2週間過ごした。そんな生徒とも本当に楽しませてもらった。休み時間には友だちのように笑い合って、授業を参観させてもらって一緒に勉強したりたくさんの思い出ができた。最初の不安を取っ払ってくれたのは生徒たちでもあった。とても嬉しかったし、別れるのが辛かった。日に日に仲良くなっていっているのが分かっていたため、余計にそう思っていた。また、素敵な色紙をもらった。たった2週間。されど2週間。自分はこの2週間を悔いのない時間にすることができた。それを生徒たちも同じように思ってくれているのだと分かった内容で、とても嬉しかった。自分も5人の生徒へ1人ずつ手紙を書いて渡した。これも喜んでくれているようで嬉しかった。そして、指導教官にも最後挨拶をして別れた。自分は充実した時間を過ごさせてもらっていたが、指導教官はどう感じているか分からなかった。しかし、「2週間早かった」と言ってもらえたことで、そこまで重荷になっていなかったのではないかとホッとした。「またどこかで会うと思う」と言われたため、「その際はぜひまたよろしくお願い致します」と言って感謝を伝えた。「また遊びにおいで」とも言ってもらえ、母校ではないのに温かい環境に新たに出会えたことに感動だった。

 

 教育実習を嫌だと思っていた自分を変えてくれた、特別支援学校で出会ってくださった全ての人に感謝をしたい。確実に実りある教育実習になったが、それは関わってくださった方々のおかげである。中学校の保健体育教員になりたいと長年思い続けてきたが、その思いを最後に覆したのがこの教育実習であった。本当に自分もぜひ尽力したいと思わせてもらえる環境だったのだ。自分にできることなんて限られている。でも、求められるのなら全力でやりたい。そう思わせてくれた実習校には頭が上がらない。素敵な指導教官と生徒と出会えて本当によかった。支え励ましてくださった指導教官、素直で優しい生徒のおかげでいい経験が積めた。大きな感謝と共に2つ目の教育実習を終えた。