その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

人を動かす授業

 「体育の授業がしたい」と一言で言っても、すぐ実現するものではない。用具は?場所は?何に注意する?と問題が絶えない。それに比べて「保健の授業をしよう」となったとしてもそれほど問題はない。なぜなら、体育は人を動かす授業であるからで、保健の授業はそうではないからだ。体育の授業をするとなれば、その授業を展開していく者の危機管理能力が著しく高くなければ授業が成り立っていかない。

 

 生徒が机にじっとしていれば問題ないし、動かなければ怪我もしない。そういう授業は座学の授業だけで、体育の授業はここに当てはまらない。当然、生徒が動き回って移動が多数あるのが体育の授業だからである。でも、自分は体育の授業を甘く見ていた。他の授業との大きな違いを考えたこともなかったし、体育の授業をするのならたくさんの注意を向けていなければならないことにも気づかなかった。想像で指導案を書いていたし、大学での模擬授業での経験を元に授業を作ったが、個人的に0点の授業の仕上がりになってしまった。担当したのは中3の授業だった。「これくらいはできるだろう」「分かってくれるだろう」。この感覚が全てを台無しにしたのだと思っている。中3はもっと言わないと分からないほどに、未熟で危なっかしい。だから、先読みすることが大切なのである。と今なら言える。模擬授業を重ねて来たが、生徒役は大学の同期だし模擬授業はそれ以上でもそれ以下でもなく、ただの模擬授業で生きていない。やはり、生の授業というのは、現段階での中学生や高校生を対象にしたものである。そして、時代は流れる、変わっていく。それは分かっていても3週間しか時間のない中で、目の前にいる生徒にとって最善の授業というのは自分の力不足で見つからなかった。生徒の実態に合った授業ができなかったわけだ。それでも自分の担当クラスの生徒が最終日にくれた色紙には「授業楽しかったです」と書いてくれていた。お世辞でも社交辞令でも何でも嬉しかった。「生徒に喜んでもらえているのなら何でもいいや」と投げやりになった時もあったけど、それだけでは自分自身成長できないと思った。

 

 人を動かすことは実際難しいことである。バスケットボールでキャッチボールをするとなっても、「突き指に気をつけましょう」「指先をボールに向けないようにしましょう」と事細かく指示を出さないと、平気で怪我人が出る。これが体育の授業の現実だ。自分はボールを扱うスポーツをやってきたため、体育の授業で突き指をすることなんてなかったしそんなことはないとどこかで思ってしまっていた。でも、ボールの扱いが苦手な生徒ももちろんいるし、予備知識がない生徒だっている。それを無視して授業をしてしまっていたと思ったら、反省だらけの授業だったと思うのである。生徒主体の生徒たちで考えて楽しんでもらえる授業をしたいと思っているのに、気持ちとは裏腹にみっともない授業をしてしまった。授業をするってただでさえ難しい。そこに生徒を動かすとなると更に難易度は上がる。まだまだ修行は続く。