その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

何でもかんでも強要するな

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「何でもかんでも強要するな」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 何でもかんでも「良かれと思って」という言葉を武器にして強制してくる大人って滅茶苦茶いると思います。「良かれと思って」という言葉ほど厄介な言葉はありません。「良かれと思って」って言葉は一見、子どものことを考えてくれているように聞こえますが、実はその逆で大人が子どもを都合の良いようにコントロールできるために使われていると感じるのです。自分も強要しまくりな大人に出会ってきたので、そのお話をさせていただきたいと思います。

 

 中学生の時、5時間目が体育で6時間目が理科という時間割の時がありました。放課後にはもちろん部活動がありますので、個人的には体育の後に着替えずにそのままの格好で理科の授業を受けたいわけです。でも、それを許してくれない先生がいました。先生の言い分としては、「理科の授業は体操服を着る必要性はないから、制服で受けなさい」というものでした。実際に自分は理科の先生本人に体操服で理科の授業を受けることについて許可してもらっていました。正直、「理科の先生が良いと言ってくれているのだから、外野が口出すことではないだろう」と思っていました。そして、高校生の時、6時間目の英語の授業が眠いと思う時があって、寝てしまったら絶対に先生に怒られることが分かっていたので、立って授業を受けていました。そうすると、「座りなさい」と直ちに怒られました。でも、自分は寝てしまっても怒られるのだろうから自分が取った行動は間違っていなかったのではないかと思っています。「座って勉強しなければいけない」という規則なんてないし、座って勉強すれば成績が上がるわけでもないのです。どんな形態で勉強するか、子どもに任せて欲しいと思いました。そこでもし「立って勉強している人なんてあなただけだ」と非難されたとしても、自分の心には何も響きません。別に自分はみんなと同じことをできない人間ではないし、その辺はわきまえることはできるし、自分のやり方を周りに迷惑にならない程度で主張していたからです。

 

 強要されると人間はやる気をなくすし、自分の場合は「そこまで胸を張って怒れるようなことなのか」とつい疑問を抱いてしまうようなことを強要されて、複雑な気持ちでした。何でもかんでも強要をしても何もポジティブなことは起きないと思うのです。指示をしたり批判したりすることを教育とは呼べないと自分は思っています。だから、子どもに選択の自由を与えて、子どもが自身の頭を使って考えることを支えるということも考えるべきではないでしょうか。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「第1子の役割」を予定しております。ではまた次回。