その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

教育実習を終えて

 ご無沙汰しております。約1ヶ月振りでしょうか。まだ少しバタバタしておりますが、教育実習での経験が色褪せないよう今ここに書き残しておきたいと思います。これまでのブログとはガラリと「色」を変えていきたいと思っています。今までよりもより独り言を言っているような感覚で書いていきたいので、敬語はやめてタメ口で書いていきます。読んでくださる方には申し訳ないのですが、独り言を覗いている感覚で読んでいただければと思います。では、ブログ再開です。

 

 先月、3週間母校へ教育実習に行っていた。大学から学校インターンシップに行ったりボランティアで教員側として学校現場に居させてもらうことはあったけど、実際に特定のクラスに入ったり授業をしたりすることはなかったから、本当に楽しみにして教育実習に臨んだ。それプラス恩師が指導教諭・教科担当教諭でこれほど幸せなことはないと思った。たくさん学んで3週間終えたいと思っていた。

 

 でも、こんな意気込んでいたのに、意気込みすぎてなのかは分からないが思い描いてた教育実習とは全く別物になった。

 

 実習初日。職員の方とは言っても母校であるため、実際に自分がお世話になってきた先生ばかりの前で実習生代表としてなぜか挨拶した。その後、自分が配属されたクラスで生徒に挨拶をした。大人しいクラスで正直「大丈夫か?(馴染めるのか?という意味)」と思った。それから6時間体育の授業を参観して、生徒と一緒に体を動かして終礼を終えて教官(※恩師のこと)に呼び出され、実習初日を振り返った。「こんな感じです」なんて言われて平和に初日を終えた。でも、まだ自分はこの後から起こる悲劇に気づいていなかった。

 

 実習3日目。1時間目、いつも通り生徒と体育の授業に参加してたら、右アキレス腱断裂。でも、実際は負傷直後こんな大事だとは思っていなかった。ただの肉離れくらいにしか思っていなかったし、保健室で包帯を巻いてもらって実習を続けていた。一応親に連絡をしておこうと思って、軽い気持ちでLINEをした。そしたら、親が学校へ電話して大騒ぎになってその日は親が学校まで迎えに来てくれて、整形外科が開いてなかったため救急の内科で診てもらったが、その時はふくらはぎの肉離れだと診断された。

 

 安心していたが、次の日整形外科に診てもらったら右アキレス腱断裂だとはっきり言われた。かなり絶望した。松葉杖6週間、歩けるようになるまでに3ヶ月、スポーツ復帰まで6ヶ月。今後の実習、教員採用試験、そして今後のスポーツ人生…。たくさんのことが頭の中でぐちゃぐちゃになった。とにかくまだ実習3日目でケガをしたもんだから、家族内で今後の実習をどうするかという話にもなった。と、その前に実習4日目教官に親にケガをしたことを連絡したことで、学校中が大変な騒ぎになったと怒られた。「社会人が親に連絡するか?」ということで怒られた。実習で初めて怒られた案件だった。話を戻すけど、今後の実習をどうするかということを家族で話し合った結果、秋に延期してもコロナで行けるかどうか分からないのだから、松葉杖で大変だろうけど頑張って行くかという話になって今に至る。

 

 まあそれから本当に怒涛の日々。教育実習で学びたいという気持ちはもちろんあったけど、それ以前に歩く、移動するってことがスムーズにできないことがストレスでしかなくて、何をするにも必死だった。こんな大きいケガしたこともなかったし、こんなことが実習中起こるなんて神様も何の恨みがあってって何回も思ったけど、そんなことで憐れんでくれるのは実習生だけやった。母校で実習するのは確かに甘いと思うけど、こうなった場合に何でも頼めるし話もできる。本当に大きな支えだった。

 

 体育の授業を生徒と一緒にできなくなってしまったし、松葉杖をついてることで両手がふさがってるから何にも持てないし何にもできなかった。「ケガしてるなりにできることを見つけてやりなさい」って教官に言われてたけど、それを思いつくこともできないから結局怒られていた。本当に毎日のように怒られた。ぶっちゃけ「今何について怒られてるのだろう」って本当に開き直りとかってことではなくて、思いながら怒られてる時もあった。

 

 そもそも自分は教官に憧れて今の人生を歩んでる。中3で人生が180°変わったのも事実やし、教官みたいになりたいって思ったのも本当。だから、どんな時でも自分に寄り添って指導してくれると思ったけど、指導やと思えないこともあった。それは自分の甘さかもしれないけど、教えてくれたことは数少ない。怒られている中で教えられたと自分が思い込んでやっと指導になったパターンが多かった。ガッカリさせたかもしれないし、残念に思われたこともあったと思うけど、それは自分もおんなじ気持ちやった時もある。やからと言って教官が師匠であるには変わりない。怒られても実習生として受け止めないといけないと思ったことはグッと堪えてたけど、「どう考えてるん?」みたいに話を振られたら必ず「正直言って…」で話をし始めて本音で話していた。

 

 教官だって自分が教員になりたいって思いを知ってくれてるから、愛を持って言ってくれていることだと思ったから受け止めることができていた。でも、何か分かり合えない時があった。「何考えてるんか分からん」って言われたことがあったけど、それは自分もそうだった。教官が何を考えてて自分をどういう人間に育てたいって思ってくれているのかが分からなかった。でも、実習2週目くらいに呼び出された時「怒る時の条件って何やったか覚えとる?」って言われたことがあった。正直、自分は中3の時は1回しか怒られたことがなかったし教官に怒られ慣れしてなかったから覚えていなかった。だから、正直に「すみません。覚えていません。」って言った。そしたら、「何も思ってない子には何にも言わん」って言われた。嬉しかった。離れてたから忘れてたけど、教官って口下手であるってことを思い出した。率直に思ってることが言えないタイプだ。でも、「それ理不尽じゃない?」ってことでも怒られたりしたから、そこは教官の欠点やなってことも思えた。そういう学びがあった。

 

 ここからは何で怒られたかを何点か紹介してみる。実習授業というものがある。これは実習生が実際に生徒相手に授業を行うというもの。それを自分の場合計6時間させてもらった。3時間ずつ2日間。1日目は3、4、6限に授業をした。3、4限は時間があったから講評をすぐに聞きに行けたけど、6限はその後すぐ終礼で掃除をして部活があって、実習生はその後すぐに反省会があるし、教官は帰るのが早いから聞きに行く時間がなくて明日聞きに行こうと思ってそのまま帰宅した。次の日の昼休みに終礼で生徒に伝えることがないかを聞きに行った時に、「昨日の講評は聞きに来ないの?」って言われたから「今日の放課後行こうと思ってました」って言ったら「今日の放課後予定あるけど」って言われたから、今日は無理なんやと解釈してそのまた次の日の朝に「講評をお聞きしたいです」って言ったら、教官と保健体育科のボスに説教されることになった。「学びの姿勢がない」「単位あげられない」ってボスに散々言われた。保健体育科の中で保健体育の実習生の話をして意見共有をしてるらしく、代表で話をしに来たらしい。この件に関しては自分が悪いと思う。でも、聞きたくても怖くて聞けなかったのは事実。「今日は時間ないなら無理か」「放課後もきっと部活だろう」って自己解決してまうことが多かった。教官とコンタクト上手く取れたなんて経験この3週間でないに等しい。生徒だから何でも聞けてたけど、「何でも聞いて欲しい」って言ってる割には、「そんなことも分からんのか」「大学4年間で何してきたんや」って言うもんだから聞きに行けなかった。今更聞けないって気持ちが大きくなって、どんどん自己解決して怒られての悪循環が当たり前になっていった。

 

 積極的に動くとか周りを見て行動するとかができてないってはっきり言われた日があった。その時に、大学で部活をやってなかったこととバイトで接客業をしてなかったことについて怒られた。寮生活で先輩とおんなじ部屋で生活したり、理不尽なクレームを嫌な顔せずに対応したりする経験がないからこういう状況を招いてるってことを言われた。さすがにこれは自分の考えを言わなと思ったから、「教師って本当に大変な仕事やと思っていたし、現役で公立学校の先生になれることに必死になりたいって思ったから本当はやりたかった部活を我慢して今の選択に至ってるし、バイトも教職に直接的に繋がる家庭教師を選んでるつもりです。」って言った。そしたら、「現役で先生になるのも良いけど、一般企業で勤めてみてもええかも」って言われた。教職より一般企業で働く方が厳しいってことを言いたかったのだろうって思う。それだけ今の自分ってヤバいのだと思ったけど、教員になりたい気持ちは変わらなかったから諦めたくないし、一般企業に就職するっていう気持ちはサラサラない。

 

 本当に死ぬほど怒られた3週間やったけど、気づいたことも多かった。自分は行動派ではなく慎重派。思い立ったらすぐ行動に移すということが非常に苦手なタイプ。でも、教官の教えとしてはその逆で「体育の人間」ならより一層行動で示せってタイプ。それが自分はなかなかできなくて、それがもどかしかった。怒られるのが嫌とか失敗するのが嫌とかではなく、教官に迷惑をかけたり怒ることで体力を奪ってまうのが嫌だった。冒頭にも書いた通り、教官が指導教諭・教科担当教諭で本当に嬉しかったしワクワクしていた。でも、教官に実習始まって1週目が終わろうとしてる頃に「高いレベルのものを求めてる」「この3週間で詰め込めるだけのもの全部詰め込むから」って言われてそれも嬉しかったのに全く期待に応えることできなかった。それが辛かった。自分は意外と自分のために生きられないから、どうしても大事な人のために生きてしまう。だから、大事な人の辛い顔を見るのが本当に辛かったししんどかった。謝り続けた3週間だったし、本当に喜怒哀楽がぐっちゃぐちゃになった3週間だった。

 

 教官の味方をするわけではないけど、これまでの経験が今の時代に通用しなくなってきている。それを気づくことって難しいと思う。でも、自分だって大学4年間でこれからの時代に沿った教育とか生徒一人一人に合わせた指導とかをだてに学んできてないから、そういうのを分かって欲しかった。教官がもうこの先教員をしないのなら話は別だけど、そうではないのだから逆にどんなことを学んでいるのかっていう話を聞いて欲しかった。それが悔しかった。時代に沿っていかなければならないこともあれば時代が変わっても変わらない大事なものって絶対にあると思っている。それを全て時代が変わっても変わらない大事なものにリストインしてしまっているのかなって思う。時代が変わっても大事なことは生徒の時に教官に教わったことで、大事やと今でも思ってるから大事にしていきたいし、それを教えてくれた教官には感謝している。でも、今の時代に通用しないと思ったことは容赦なく切り捨てていきたいと思う。でも、それを勉強させてくれたのは教官やから感謝やなと。全部教官が正しいと思わへんようになった。でも、それは人間やから当たり前のこと。互いに欠点があってそれが互いにあらわになってしまったってのはあるけど、でも絶対この先この経験が教官との関係でなかったことになったり、マイナスなことになったりしないように自分は成長していきたいと思う。

 

 本当に他の実習生は全く怒られてないことでも、自分は毎日のように怒られて正直しんどかったし、正直、自分は甘い考えで実習に来てしまったしまだまだ未熟なんだなと思って自信喪失した。正直、先生になりたい気持ちはあるけど、先生になってええんかなって思うようになった。「教師として」ってことを学びに行ったはずなのに、「社会人として」「人として」ってことで怒られることがほとんどだった。それでも、実習生は励ましてくれたしクラスの生徒は「先生!」って慕ってくれて嬉しかった。実習生とか生徒の「先生向いてる!」「素敵な先生になれます!今もうすでになってますけどね!」っていう言葉に助けられて、自分は今も教員になりたい思いを諦めずにいれてる。本当にありがとう。

 

 とんだ3週間になったけど、また自分を見つめ直して精進していきたいと思う。アメとムチってこういうことなのだなって思った。怒られてる時に「好きやで。良い子やで。」って言われた時があった。でもそんなの信じられられなかった。「こんなに手を煩わせてるやつが良い子?そして好き?」って思ってしまってそれまで頷いて教官の話聞いてたけど、その時は嘘でも頷けずにそれが教官にバレて。「何で頷かへんのん?」って言われたから素直に「良い子じゃないからです。」って言ったら、「怒られるから良い子じゃないわけじゃない。そういう考え方も変えてみ?」って言われた。大人になるって大変だと思った。教官は変わらず憧れの人だし尊敬する気持ちは変わらないから、教官に「育てて良かった」って思ってもらえるくらいの成長を遂げて、生徒に寄り添える教員になりたい。