その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

教員を目指すようになって変わったこと

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「教員を目指すようになって変わったこと」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今日は休止前、もしくは終了前最後のブログになりますので、こういったタイトルでお送りしたいと思います。教員を目指すようになって変わったことなんていくらでもありますが、ざっくりとお話したいと思います。そもそも自分が本気で教員を志すようになったのは中学3年生です。それまでの自分は本当に「最低な児童生徒」でした。最低だと思われるであろうこともありのままにお話させていただきます。自分ができていることでできてない人を平気で見下していたし、いわゆる落ちこぼれと呼ばれるような人がいても「のし上がってくれば良いんだ」と手を差し伸べることもできない人間でした。今思うと、絶対に教育者になってはいけない人にリストアップされるほどに呆れるような人間でした。なぜそんなことを思っていたかというと、自分が幸せだったからです。正直な話、みんな幸せだと思っていたのです。自己中心的で本当に視野が狭い脳内お花畑の人間だったと思います。だから、「ゲームを買ってもらえない」と言っている子がいたとして純粋に「親に買ってもらえば?親なら買ってくれるでしょ?」と言っていたでしょう。でも、今なら「その子がひとり親家庭で育っていて経済的余裕はないのかもしれない」「親からの教育虐待に必死に耐えているかもしれない」と想像することができます。単純に視野が広がりました。

 

 そして、いじめをしたり法に触れることをしてしまったりする子が実際に身近にいたりニュースで見たりするとその子が悪いと思っていました。しかし、今ではその子の親や家庭環境に視野といったバックグラウンドに焦点を当てることが大事であると言えます。その子も何かしら抱えているかもしれないと思うようになりました。その子だけの問題ではないのです。これは良いのか悪いのか分かりませんが、今までは「その子自身が悪い」と言うのが口癖で今では「親が悪い」に変わりました。「親は泣いているだろう」といったことも言っていましたが、「親は自身の言動を振り返って反省したりするのだろうか」と思うようになりました。

 

 教員を目指すようになって変わったことは山ほどあるし、今までの自分が今の自分よりもっと未熟だったか思い知らされました。気づくことも反省することもあったし、教師である父を更に尊敬するようになりました。自分は教員を目指すことはないとどこかで思っていましたが、こうして教職の道を歩んでいます。考え方も価値観も本当に180度変わりました。もちろんまだまだ未熟ではありますが、日本の未来を担う子どもたちを堂々と教育できるような人間になりたいと思っております。読んでいただきありがとうございました。昨年の8月から毎日投稿をしてまいりましたブログを本日を持ちまして、休止させていただきます。大学4年生になり、進路を決める大事な時期に差し掛かっておりますので休止させていただくことに決めました。そして、先程休止と申しましたが終了になるかもしれません。今後のことは私も分かりかねますので、はっきりとしたことは言えませんことをご了承ください。「その辺にいる大学生(21)」のブログを読んでくださった全ての方に深く感謝申し上げます。読んでくださった方全ての方が幸せになりますようお祈りしております。