その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「舐めていたかもしれない」とは言えなかった

 まず初めに答えだけ示しておこう。「舐めていたかもしれない」と嘘をついてでも言えなかったのは、それが真実ではなかったから。舐めていたかもしれないと一瞬でもそのような節があったと思ったのなら、認めてしまって構わない。というより、正直にそこは頭を下げて謝るべきだ。でも、自分の場合舐めていなかった。教員の存在を舐めていなかった。

 

 小学生の頃は、学校の先生が嫌いだった。そんな中、教員である父のことは尊敬していた。何とも矛盾している話だ。日々大変そうに働いていて、一般企業とはまた違う苦労をしているところを間近で見てきていたこともあり教員という職業を嫌いにはなりきれなかったのかもしれないと今は思う。だから、ずっと教員という職業を舐めていない。自分が教員になりたいと思い始めてからは、より一層尊敬の意が高まっているのは言うまでもない。

 

 教育実習で自分の師匠である教官に死ぬほど怒られた日々をこのブログ内で綴ってきた。まだ読んでない方はそちらを先に読んで欲しい。そんな日々の中で「舐めてるのか?」といつか聞かれるのではないかとビクビクしていたが、それは言われなかった。本当に舐めているつもりはなかった。教官からすれば不可解な行動ばかりしていたと思うが、それだけは言われなかった。教官はなぜ自分が一般企業に就職するのでなく教員になりたいと思っているのかを知ってくれている。だから言わなかっただけかもしれない。言われてしまってもおかしくないほどに怒られていた。

 

 「教職を舐めてしまっていました。申し訳ありません。」と言ってしまえば、そこで何もかもが終了してしまうことには気づいていた。教官をガッカリさせてしまうことはもちろんのこと、教員になる資格はないということにもなってしまう。嘘をついてまでその言葉を発しようとは思わなかった。自分の夢を舐めることほどみっともないことはないだろう。誰だって憧れてキラキラしたものに見えるから目指すのであって、バカにしたような姿勢で夢を追うわけがない。最近雨の影響で中止が多かったが、第103回全国高校野球選手権大会が開催されている。甲子園に出場している選手一人一人の顔はいきいきしている。それは憧れの目標にしていた阪神甲子園球場でプレーできていることに幸せと喜びを噛み締めているからそのような顔になるのだろう。そういうものである。

 

 要するに、自分も教員を舐めているわけがない。そして、教官のことを尊敬している。いつまでも自分の師匠だし、足を向けて寝られない恩師である。尊敬の気持ちを忘れることなく、教育実習を始めた。その気持ちだけは伝わっていたと信じたい。舐めていたかもしれないなんて口にする言葉じゃない。