その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「すごい」が口癖

 褒める言葉である「すごい」。これを自分は多用している。自分の口癖なんて小っ恥ずかしくて自ら見つけようなんて思ったことすらなかった。教員を目指すにあたって同期に生徒役を演じてもらって実際の授業のように試すという模擬授業をやるのだが、そこで授業の内容以外にアドバイスや指導されることがあるのが、「口癖」なのである。模擬授業をするようになってから、自分の口癖は何だろうと思うようにもなった。自分では「すごい」という言葉をよく発していると思うのだ。一方、周りは「~なんですけど」とよく言っていると言う。自覚はなかったが、意識して自分の発言を聞いていると確かに重ね重ね言っている。なぜこれを言っているのかは分からないし、今回書きたいことと別件であるため、今回はこの辺にしておく。

 

 単純になぜ自分は「すごい」と言葉にするかと言われると、これまた単純にすごいと思っているからだ。自分は絵を描くことが苦手だ。苦手というより書けない。壊滅的な絵が毎度出来上がってしまう。だから、絵が上手な生徒がいればありえないほど褒める。「何でこんな絵が描けるん?」「想像力どうなってるん?」「すごすぎん!?」というようにとにかくすごいと褒める。でも、これはお世辞でも社交辞令でもなく本心なのである。これが口癖で損したことはない。自分ができることが少ないため、当然言う回数は増える。「社会が得意なんてすごい」「毎日家事をやっているなんてすごい」「英検1級を持っていてすごい」これらなんて自分ができないから素直にすごいと言えているだけなのである。逆に自分ができることをすごいと言えないのでないかと思われるかもしれないが、そういういことはない。ホームランを打てる中学生がいたとして、自分もホームランを打てるが初ホームランを放ったのは高校生だ。察しの良い方は分かると思うが、早くホームランが打てるようになった先程の中学生のことを真正面からすごいと言える。当然のことである。

 

 どんな小さなことでも、どんな些細なことでも良いのだ。「すごい」と言うことを習慣にしているとどんな人のことを尊敬できる、尊重できるようになると思っている。自分にできることで他人にできることがゼロであることはないに等しい。自分にできないこと、自分が持っていないものを持っている自分以外の人類すべてを尊重すべきである。そうすれば、偏見も差別もなくなる。攻撃するのは辞めよう。違いを受け入れ、認め合おう。どんな人だって自分と同じで尊いものである。