その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

評価されるべきことはそれだけ?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「評価されるべきことはそれだけ?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

  「勉強がよくできてすごいですね」と親同士の会話で言っているのを聞いたことはありますが、「優しい性格ですね」と褒める親を見たことがありません。皆さんはどうでしょうか。かろうじて「運動神経が良くて羨ましいです」「ピアノが上手で素晴らしいですね」というのも聞いたことがあります。かなり前に「学校のテストで1位になったらなぜ親は喜ぶのだろう」といったことについて自分の考えをこのブログに書かせていただきましたが、やはり今の世の中が学歴社会とされているからだと思います。だから、「学校で習う勉強が分からないから」「学校のテストの結果が悪いから」というのは、「我が子は何もできない」ということの理由にはなりません。そして、都合の良い親もいます。例えば、甲子園に出場できるほどに野球が上手いのなら認めるという親もいるのです。確かに、野球だけやっていても将来食べていけないけど、そこまで能力が突き抜けているのなら何も文句は言えないという親の意見も分かります。でも、野球と真剣に向き合えるという子どもの姿勢を評価すべきだと思います。

 

 小学生の頃、「今後も勉強を頑張っていきたい。そして、より一層頑張りたいから環境も変えたい」と親に頼んで中学受験をさせてもらい、結果私立中学校へ進学しましたが、入学後周りの人間に圧倒されて勉強を勝手に卒業しました。そして、部活動に力を入れるようになり、自分の持っている力を120%を部活動に使っていくことになります。そうすると、掛けられる言葉が「勉強頑張って偉い」から「何で勉強辞めっちゃったの?部活動をそんなに頑張ってどんな意味があるの?」に変わりました。それに、自分のチームは弱小チームだったので、「良くやってられるよね」と笑われることもありました。でも、自分はめげずに自分の考えているプランを信じて貫きました。中学校・高校の6年間で前代未聞だった唯一県大会出場をした際には、手のひらを返したように「良かったね。すごいじゃん」と言ってきた人もいました。「ほら見たことか。一度非難してバカにしたことを謝ってくれない?」と言いたかったですが、そこはグッと堪えました。結果を出せた時だけやってきたことに意味を見い出せる大人にはなりたくないと心の中で改めて思っていました。

 

 「勉強ができる」「運動が得意」ということだけが、人間の評価されるべきことではありません。何も取り柄のない子どもというのはいないので、子どもに自信を持たせてあげるためにもできることに対して、とにかく褒めるべきだと思います。評価されるべきことは多種多様なので視野を広く持っていなければいけません。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「贔屓をしたところで何も生まれない」を予定しております。ではまた次回。