その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「自由」を与える勇気

 「自由」というくらいなのだから、簡単なものなのだろうと思われがちだ。自分も昔はそう思っていた。自由であるほど自由である方がいいし、自由は精神的に安定するとまでに感じていたのだ。しかし、その認識は全く違っていた。「自由にやっていいよ」という一言はとても発するに勇気のいることであるとこの歳で改めて思えた。

 

 教育実習では、実習授業や研究授業などとにかく子どもを前にして授業を行う。特に、研究授業は教育実習の集大成のようなもので実習校の校長先生や教頭先生なども見に来る教育実習生からすれば一大イベントである。その研究授業を行う前に何度か実習授業を行うのだが、実習授業を何度行うかは実習校や指導教官の方針により違う。自分の場合、6月の教育実習では保健と体育各3時間ずつで計6時間だった。配属クラスの学年が3クラスあったため、1クラスにつき保健と体育を1時間ずつ授業を行った。これらの授業を行う前に、「私がやっている授業をコピーするのは絶対やめてね。必ずオリジナリティを入れるように」と言われていた。自分からすれば脅しのようにしか聞こえなかった。これは自由を与えてくれている気はしなかった。だから、全く勇気を出した発言でもないと感じ取れた。だから、何かあれば助けてもくれないし関与する気はないのだと自分はその時察した。自由を感じられず、不安しか緊張しか感じられない中で授業をしなければいけなかった。もちろん自分が信頼できる人間でなかったのだろうとも思う。だから、任せてみて「自由を与えてみよう」という気持ちになれなかったのかもしれない。それでも、全く関係性がない人間同士でもないわけなのだから、「何かあれば助けようと思ってくれてもよかったのではないか」と思う。

 

 そして、11月の教育実習ではその真逆だった。「思ったようにやっていいよ」と言ってもらえていた。たった2週間の付き合いでもっと言えば初めて授業をさせていただけた時は4日目だったため、相当早い段階で自分のことを信じて任せてくださったことになる。今思えばとてもすごいことでありがたいことである。自分もとてもいい意味で気楽にとても楽しんで授業を行えた。授業準備段階から指導教官は気にかけてくださり、「どんな授業になってもちゃんとフォローするよ」という姿勢が感じ取れていた。他の授業に一緒に参加してくださる先生方からも「一緒に頑張ろうね」というメッセージもいただいていた。考えが甘いのかもしれないが、思い切りやれる環境を与えてくださる先生方がいらっしゃったため、自分は余計なことは考えずに授業を行うことができたのだと今振り返ってみても思う。

 

 2つの教育実習を終えてみて大きな失敗をしたと自分で感じる方は6月の教育実習の方である。悪循環なのだと思った。安心感も肯定感もあったものじゃない。自由を与える勇気がなかったのは、自分のせいかもしれない。しかし、こんな自分にも勇気を出して自由を与えてくださった先生もいらっしゃった。それが功を奏し、大きな失敗に繋がらなかったし本当の意味での課題を受け止めることができた。自由というのは大事だし、それを与えてもらえるような信頼関係を築くことも両方大事なのだろうと勉強になった。