その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

教育実習の評価

 教育実習生として教育実習を行わせていただいたことはあるが、もちろん教育実習の指導教官となったことはない。指導教官の決め方や教育実習の評価のつけ方はどのようになっているのかというシステムは全く分からない。人それぞれだと言われればそれまでなのだが、そういったことがずっと気になっていた。なぜなら6月の教育実習の評価が最低評価だったからだ。

 

 つい先日11月の教育実習でお世話になった指導教官の先生とお話しする機会があった。もちろん忙しい中先生が作ってくださった機会だ。とても感謝している。そこで自分が気になっていることを正直に聞いてみた。まず、教育実習の指導教官の決め方を聞いた。先生からすると仕事が増えるだけで先生にとってメリットなんてないのだろうと自分は考えていた。だから、引き受けてくださったことがもはや感謝すべきことだと改めて思った。学年や専門教科を考慮した上でお願いをされるのだそうだ。「断ることはできないのですか?」と聞いてみたが、「この歳でやれませんできませんなんて言うの恥ずかしいから」と仰っていた。覚悟が素晴らしいと感じた。

 

 次に、自分の中の本題である教育実習の評価のつけ方について聞いてみた。自分はもう教育実習の評価が最低評価だったことをネタにして生きていこうと思っている。もうそのように開き直っているが、先生の顔は曇っていった。「私は教育実習で最低評価をつける意味が分からない。実習生にそのような評価をつけるということは、指導した先生もその最低評価ということであると思う。大した指導ができてないから実習生に伝わってないということになる。」と言ってくださった。自分も気にはしていないとはいえ、「最後の最後までそういう目の敵にしたような態度なんだ」と思っていたため、先生の話はとても自分の心に引っかかっているものを取っ払ってくださった。そういった考え方は絶対に教師生活の長い、様々なことを常に考えてらっしゃる先生ならではの言葉だと思った。ちなみに、11月の教育実習の評価は逆に最高評価だった。先生の基準は「生徒の輪に入っていけたらそれだけで最高評価。あとは大した指導ができなくてごめんという意味で最高評価をつけた」と仰ってくださった。甘い評価だと思うが、教師にとって1番大事なことというのは、子どもの中にどれだけ入っていけるかということなのだと再確認できた。自分からしても偉そうながら指導教官の評価は確実に最高評価だった。また、新たな学びがあった。