その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

逃げる勇気

 自分はずっと「逃げは悪だ」と随分と酷評してきた。「なぜ決めたことを最後までやり遂げずにできないなどと結果を出してしまうのか」ととても偏った凝り固まった考えを持っていた。しかし、自分は「逃げてもいい」という考えにこれまでに触れることもあり、今現在はそういう考えもあるのかと柔軟に考えられるようになっている。それは親友の存在が大きいのかもしれない。

 

 先日、親友と大学の卒業旅行として日帰りであったが、近場へ旅行へ行った。普段通り楽しくふざけ合って話もしたが、真剣な話も多めだった。その際に「逃げることも選択肢の一つだ」と親友が言っていた。そういえば、親友と自分は全く性格が似ていない。もう16年の付き合いになるが、そんな性格が真反対の2人がどうやら馬が合うらしい。だからこそ、そういった考え方やそれ以外の物の見方も新鮮なものばかりで、それがおもしろくて16年も付き合っているのかもしれない。自分は変に真面目だ。指示されたことはきちんとこなそうとするし、言われたことは全て真に受ける。親友にはそういった姿が見受けられない。これは出会った小学生の頃からだ。自分は不思議に思っていたが、その姿がかっこよく見えていた。「そんな生き方もありだ」と少し憧れの気持ちがあったのかもしれない。

 

 自分は「決めたことはやり遂げるまで諦めない」という考え方、親友は「興味がなくなったり、少しでも違うと思ったら辞める」という考え方を持っている。だが、お互いに否定したことはない。親友も自分のような考え方をしてみたいと少し憧れてくれているようで嬉しかった。どちらがいいという話をしたいわけではない。自分が言いたいのは「綺麗事で自分の首を絞めていたのかもしれない」ということなのだ。

 

 「決めたことはやり遂げるまで諦めない」という考え方はどっからどう見てもかっこいい。かっこつけすぎなのかもしれない。それにそんな美学に逃げているだけだと気づいた。そして、逃げる勇気がないのだ。逃げることにも勇気が必要だとようやく気づいた。過去もきっと辞めたいという気持ちになったことがあったと思うのだが、その感情に蓋をしていたため気づいていない。一方、親友は自分自身の感情の赴くまま生きてきたのだろうと思う。自分も感情のままに生きてきたつもりだったが、全くそんなことはなかったのだと気づかされた。「生真面目だから、そんなことはできないと思う」と親友には言われてしまったが、本当に心身が壊れる寸前でも自分は気づかずに環境を変えずにいると思う。逃げる勇気が自分には備わっていない。「辛かったら正直に打ち明けて環境を変えるべきだ」と親友には言われた。4月から社会人。どんな環境なのかは分からないが、もしもの時は逃げる勇気を出せるようにしていきたい。