その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

生きてきた環境と別世界に身を置く

 勇気がない。特別強くない人間でむしろ、弱虫で泣き虫であることは自覚している。常に安定を求めて生きてきた。目まぐるしく変わる日々、時代。そんなこと、叶うはずないということは今では分かるが、幼少の頃は分からなかった。いや、分かっていたのかもしれないが、見て見ぬふりをして貫こうとしていただけなのかもしれない。

 

 「安定するために何かも頑張れていたのかな」と思うこともある。大人になった今、過去の自分を振り返ると笑えることや反省しなければいけないことがたくさんある。だから人生はおもしろいのかもしれない。安定した将来が欲しかった。親にも迷惑をかけずに生きていける、不安にならないで済む、安定した将来が。今思えば、安定した将来なんてない。だから、社会問題に終わりがないんだろう。

 

 そんな壮大な話はさておき。幼少の頃なんて、自分が生きてきた環境、見て聞いたものがすべてだと思ってしまう。大きな勘違いである。でも、幼少の頃はそんなもんだ。自分もそうだと思った。自分ははっきり言って、苦労知らずの人間だ。決して裕福な家庭とは言えなかったが、確実に幸せ者である。親に職があり、祖父母にも見守られ、何より自分のことだけを考えてこられた人生を送らせてもらった。ありがたい限りである。

 

 しかし、そんな人生を送れている人間ばかりではない。それは、教育の道に進もうと決めた頃に気づいた。気づくのが遅すぎて、恥ずかしい限りである。「あ、こんな家庭があるのか」「これを知らない?」と思うことが山ほどあった。脳内お花畑すぎた。子どもファーストの両親に育てられ、本当によかったと心の底から思う。

 

 自分は教育者の道に進むと決め、母校にお世話になることもちらっとだけ考えた。しかし、「自分の知らない世界に身を置きたい」と考えるようになり、公立学校の教員になると決めた。中高私学で両親にも大切に育ててもらい、周りも同じような子たちばかりの環境で育ってきた6年間、本当に濃いいい時間を過ごせたと思っている。「違う世界を知りたい」といつからか思うようになっていた。こんな前向きになったり、安定を求めすぎなくなったりしたのもなぜか、自分でも分からない。

 

 そして、特別支援学校で勤務することになった。全く分からない世界で怖さしかなかったが、とても自分の考え方や価値観を変えてもらい、生き生きした自分がいる。もっと学びたい意欲も今まで以上に芽生えてきた。何より、自分の挑戦を応援して支えてくれる人がたくさんいる。だからこそ、飛び込んでいけた。感謝である。