その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

温室育ち

 自分は幼少期から厳しい家庭で育てられてきたと思っていた。教員と元教員の両親をに第1子として産んで育てられた。両親も親1年生で自分を厳しく育てていたのだろうと予想する。自分が2歳の誕生日を迎えた2日後に妹が誕生した。妹は甘やかされて育てられていると小さいながらに思っていた。よく兄姉が言われる「お兄ちゃんなんだから(お姉ちゃんなんだから)」という言葉も幾度となく言われてきたし、我慢もたくさんしてきたつもりだった。学校へ通うようになり、友だちや先生と小さなコミュニティの中で上手くやっていけると思ってもいた。今思えば、周りの人間の気遣いで成り立っていただけで、自分の力でも何でもないのだろうと思う。

 

 教育実習へ行ってみて初めて社会人として扱われ、「温室育ちである」ということを前提に指摘を受けることが多かった。そもそもなぜ社会人として扱われていたのかは分からない。今はこの話は置いておこう。「甘い世界で生きてきたんだな」といったニュアンスのことを言われた時はさすがにカチンときた。自分だって自分なりに厳しく自分を追い込んでやってきたものもあるということを知らずに、決めつけられたからである。確かに優しい世界が好きだ。それは間違いでない。しかし、常に何も考えずにぬるま湯に浸かって生きてきたという感じで言う必要はなかったはずである。

 

 優しい世界が好きと先程書いたのだが、自分はかなり許容範囲を広げることができるようになった。小学生の中学年から中学2年生頃までは自分の思い通りにならなければ誰かのせいにしていた。小学生の頃は、クラスの雰囲気が悪ければ「余計なことをするな」と問題児と呼ばれるような子に平気で言っていた。授業中にずっと話し続けている子に対しては「黙れうるさい。何の時間か考えろ」と自分も授業に参加するのではなく、受験に向けての塾の予習に集中したいからという理由で言っていたのだ。しかし、人に優しくしてもらって生きてきたし、もうこの辺で優しく生きていかなければ天罰が下りそうである。その優しさを還元していきたいと心の底から思っている。

 

 温室育ちを悪いと言いたいのか知らないが、自分の人生何もなかったかのように語られて、それは自分も黙っていられない。そもそも温室育ちということを何を見て言っているのかは分からないが、そのようなことを言うことがおかしいとも思う。何をもってして温室育ちとするのは自分は本当に理解が及ばないのだが、温室育ちでもいいと思う。穏やかに生きよう。みんなで優しい世界を創っていこう。