その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

人の「アラ」にしか目がいかない人

 人間には必ずいいところと悪いところがある。これは当然のことで、どちらかしかない人などいない。しかし、人の悪いところにしか目がいかない人がいるのである。自分自身にも悪いところがあると本当の意味で分かっていれば、そのようなことはできないはずだ。「できるだけいいところを見よう」。こうなるはずである。

 

 自分は小学生の頃、全く自分にも悪いところがあると自覚していなかったいわゆる「イタい」人間であったため、他人の悪いところを見つけてはそれをまた他人に話していた。それで大したことのない人間である自分は優越感に浸っていたのだろうと今思う。何とも情けない話である。それでも、中学生になり考え方を180度変えた後からは人のいいところを見つけようと思うようになっていった。自分も他人も気持ちいいし、嬉しい気持ちにもなるからである。当然のことを15歳で初めて分かった。他人のいいところを見つけると本当に温かい気持ちになる。これは自分の体験からして言えることである。

 

 大人になってもこれができないのである。つまり自分の真逆のこともしくは自分の小学生の頃と同じことをしているということである。「社会人として大人としてそれができないと話にならない」といったニュアンスのことを言われ続けたことがあったが、それをそのままそっくりお返ししたい気持ちである。「できていないのはあなたの方ですよね?」と。まるで昔の自分を見ているようだった。他人の悪いところを見ていないと不安定な気分になるのであろう。こうすることによって、優越感に浸り続けている。変に懐かしい気分になったが、「この大人を正してくれる大人も周りにはいなさそうだ」とも自分は思った。悲しい話である。

 

 一方、いいところを見つけて互いが喜ばしい気持ちになる場合も経験した。その大人の方は、悪いことがあれば注意は促していたがちゃんと褒めることを忘れていなかった。そのバランスは大事だと思う。しかも、「悪いところ」と一括りにするのではなく、悪口のような口調でなくあくまでも指導であった。そこに愛を感じられた。自分が悪いところを注意されたわけではないが、見ていてそう感じた。自分に対しては、たくさん褒めてくれた。できていないところはさりげなくフォローしてくださり、アドバイスをくださったりした。悪いところももちろんあったであろうが、それを表に出したことはなかったし、そんなことでグチグチ言うのではなく様々な自分が勉強になるようなことをたくさん教えてくださった。

 

 人の「アラ」にしか目がいかない人というのはかなり存在しているのかもしれない。子どもは当然だが、大人の中にでもである。しかし、それが習慣化されてしまっているし何が悪いのかが分かっていないため、直さなければいけないということも理解できないのであろう。人の悪いところではなくいいところを見つけて育てるべきであると自分は思う。