その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

好きなことをとことんやる

 今日の話は自分の人生論に近い話かもしれない。これまでのブログ内でも触れてきたこともあったため話が重複してしまっていることがあるかもしれないが、そこは了承して読んでいただきたい。人間誰だって好きなことだけをして生きていきたい。でも、現実はそんなわけにもいかない。働かなければいけないし、税金は納めなければいけない。そんな中で好きなことを極めるということはとても大事なことであると考える。これは決して自分のことを正当化しようとしているわけではない。そして、「何となく」ではなく、「とことん」というところがポイントである。

 

 自分は小学生の頃、ゲームが好きだった。目が悪くなってしまったきっかけもゲームであるほどにゲームが好きだったのだが、やはり周りには理解されない。それでも、自分は何も悪いことをしている気がしなかった。実際に悪いこともしていない。学校の宿題もいち早くやり、習い事をすっぽかしたこともない。だから、そこまで怒られることはなかったが、「ゲームをやって何になる?」という目線は間違いなくあった。しかし、自分はゲームクリエイターになりたいと思っていた時期があった。そうなれば、理にかなっていると思われないだろうか。ゲームがやりたいからそう言っているだけだと思われるかもしれないが、小学生の頃の夢なんてそんなものだ。それでも真剣に考えていた。もちろん勉強もしっかりやらないといけないのは分かっていたが、ゲームをやるのも必要だと思っていた。クリエイターになりたいと思うため、「どういったようにゲームが作られているか」とか「どんなゲームが人気なのか」と自然に考えるようになる。そういうように繋がっていくため、小さなことでも好きなことは大事にしていかなければいけないと思うのである。

 

 それからというもの、自分は好きなことを大事にして生きてきた。生きている間に、好きなものと出会えることなんて奇跡に近いと思っている。「そんなことできない」「こんな小さい趣味が将来に繋がるとは到底思えない」と思う気持ちも分かる。でも、何が人生に関係して助けてくれるかなんてものは分からない。ある意味ギャンブルをしているような気がするかもしれないが、好きなことは大事にすべきだと思う。中学生になると母に散々「部活をして何になる?」と言われるようになった。それを言われる意味が自分は本当に分からなかった。母は自分の人生のことを考えて言ってくれていたのは分かっていたが、必ず自分の人生にとって不可欠なものだったと思ってもらえるようにやっていくからと反論せずに黙っていた。保護者懇談のたびに担任の先生に「先生の方からも部活を辞めるように言ってください」と相談していたほどどうしても自分に部活を辞めて欲しかったのだろう。部活に膨大な時間を費やしてきて悔いはないし、自分の進みたい道へ直結したため辞めないで良かったと思っている。部活をやって競技を楽しんだこと以外に人間性を育ててもらったと思っているため、ただ部活をやっていたわけではないということを母には分かって欲しい。

 

 「勉強が本業なんだから頑張れ」という大人が嫌いだ。本業なんてものはそれぞれが決めるのである。勉強は今しかできないというのは分かるが、好きなものを否定していいとは思わない。メイクが好きな子、釣りが好きな子、ゴルフが好きな子。それぞれの人格を否定しているのと一緒であると自分は思う。好きなことを追求している日々より輝いているものはないと言っても過言ではない。勉強が1番大事なことだということに縛られずに、好きなことを好きだと胸を張って生きていける子どもが増えていくことを願っているし、自分は伝えていきたい。