その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

下がった自己肯定感がある程度戻ってきた話

 社会人2年目。1年目には考えなかったことを考えてしまったのかもしれない。去年には何も思わなかったことだ。それとも、2年目は少し余裕が出てきたのかな…まあその辺は自分にも分からないが。

 

 自己肯定感って自分を認めてあげる力のことを指すけど、自分で自分を認めるなんてかなりハードル高いなあ。改めて思う。でも、それが下がりっぱなしだときっと病名がつくような深刻な問題に発展するんだろうなあっていうことも分かるから、何とか自己肯定感は高い位置でキープしないとなと思って生きてきた。

 

 思えば、小学生の頃めちゃくちゃ自己肯定感高かった気がする。勉強もスポーツも得意で、図工や家庭科のことなんて何にも気にならなかった。夏休みの宿題である作品づくりはもっぱら母に手伝ってもらっていて、でも何とも思わなかった。「できないものは仕方ない。でも、自分には他にできることがある」と思っていた。昔の方が、諦めがよくて潔い。割り切って大人な生き方ができていたような気がする。

 

 でも、中学に入ってからすぐのタイミングで天狗の鼻はへし折られる。そこからかな、自己肯定感が下がったのは。「え?自分って何にもできないじゃん。得意とか言っていいレベルじゃないじゃん。」という思いで頭が真っ白になった。とても辛かった。これまで信じてきたものを手放す覚悟を突然しなければいけなくなった。当時12、3歳。それはそれはダメージが大きかった。でも、勝負するものを変えようと思って出会えたのが部活で、しがみついた。誰に何を言われようと6年続けた。自分には部活しかなかった。

 

 元々スポーツをするのは好きだったが、母の教育方針上スポーツが中心の生活ではなかった。「勉強をしていないと…」と教育費にはお金を惜しまない母だった。だからと言って、スポーツをさせてくれないわけではなかった。今思えば、勉強をちゃんとしていたから言われなかっただけで、中学に上がって部活が生活の中心になっている自分を見て心配になったのだろう。母自身小学校から10年バレー部に所属していた。でも、母の口癖は「部活をやったって将来何にも残らない」。母は後悔しているようだ。だから、子どもには同じ思いをさせたくなかったのだろうと思う。それでも、このことだけは自分は逆らい続けた。何度も辞めさせられそうになったが、周りの人の協力もあり何とか死守した。決して成績がいいとも言えなかったが、部活を辞めなければいけないほど悪かったとも今でも思っていない。

 

 一度諦めた夢を拾い上げ、やはり「スポーツを活かした仕事に就きたい」そう思うようになった。それから保健体育教員を目指して、いろいろと時を経て今は特別支援学校で先生をしているが、大学選びでも母とは揉めた。「最初から国公立を目指さないのはいけない」と言われていた。確かに私学はお金がかかる。中学から私学だし、申し訳ない気持ちはあったが、それでも学びたいことが学べそうな大学を見つけたから、行きたい意志を伝え続けた。結果入学させて卒業までさせてくれたが、母は今もモヤモヤ思っているかもしれない。

 

 自分は思う。母親から認められないことってめちゃくちゃ大きなことのように思う。大前提だが、自分は家族にとてもとても愛されて育っている。でも、自分の進路について母は手放しで応援してくれてはいなかったと自分は思っている。人格否定はされなくとも、自分が好きなことを否定されるのはなかなかにしんどい。「やっても意味ない」「やったからって何が残る?」と部活に関しては辛辣な言葉を浴びせられていた。だからと言って、協力してくれないことはなかった。練習着を洗い、弁当を作り、本当にたまに試合にも見に来てくれた。それだけでも感謝している。過去に母に言われた言葉は、深く傷となって残っている。

 

 そういう背景・トラウマがあり自分は自己肯定感が低いのかもしれない。「自分なんて」「自分ができることなんて何もない」と今でも思ってしまうのは、過去のことがあったからなのだろう。母のせいとまではいかないが、母親のパワーを知った。

 

 とここまでは前置き(笑)長すぎて、自分でもびっくり(笑)自己肯定感がようやく右肩に上がりつつあるという話をしたかったんでした(笑)

 

 他人に評価されようとして生きていない。でも、他人の声に励まされる。どこまでも単純な23歳である。他人と言っても、身近な自分をよく見てくれている人という意味である。「スポーツができるっていいこと」「苦手なことがある人の方が人の気持ち理解できるよ」「そんな好きなものに出会えるって素敵なこと」とポジティブな声をかけてもらった。確かにそうかもしれない。「好きなように生きてきて、たまに反発して自分の道を切り開いてここまで来た自分を少しでも認めてやろう」と段々思えるようになってきた。マジョリティに自分が入れなかったことに焦って深く落ち込んだが、そんなこと考える必要ない。いろんな人がいていい。子どもたちにも自分にしか伝えられないことがあるはずだ。スポーツの楽しさは自分は自信を持って教えられる。それでいいんだ、きっと。

 

 ネガティブ思考ながらも、なるだけポジティブに生きていく。暗く生きてたって楽しくない!自分の歩んでいる人生を信じて、堂々と胸を張っていたい。自分にしかできないことを!