その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

劣等感と折り合いをつけて生きていく

 「35歳くらいから劣等感なく生きていけるようになる」らしい。あ、先に言っておきます。今日のブログは、いつも以上に何を言っているか分からないし、きっと終着点もない。それでも読んでくれる方は、この先を読んでください(笑)

 

 約1週間ほど前。劣等感について考えるきっかけとなった出来事が起きた。端的に説明すると、教員も工作をする授業で自分の出来なさすぎに、久しぶりに脳が揺れる感覚を覚えたという話です。今「しょうもない、そんなことかよ」と思ったでしょ(笑)ええ、そんなことで悩む24手前です。

 

 苦手なことがあったり、体育の中でも苦手なことがあったりしても、苦手に感じてる子どもに寄り添える先生でいたいという気持ちで、先生になった。でもそれって、綺麗事だったのだろうと思い、気持ちがフリーフォールのように落ちていった。この感覚、久しぶりって感じで。

 

 「あ〜やっぱりダメな先生だ」と。教師も人間。苦手なことがあって当然。完璧な方が気持ち悪い。確かにそうだけど、やっぱり自分のことに関しては許せない。まだ若いからか、変なプライドが邪魔をする。もうそんなプライド捨てたはずなのに。押し入れにしまってあって、引っ張り出してきてしまったのだろうか。そんな感覚。

 

 こんなことで落ち込んでるなんて情けないなとも思う。大人だからね。それにしても、苦手なことが生きていく上で必要なことが多くて、得意なことが生きていく上で必要だとどうしても思えない。体を動かすことが何の役に立つんだ。自分が好きなことで、貫いてきた結果。何も残っていない可能性が高い。自分が生きてきた23年間何だったんだとまでに追い込まれた。それほど、意外と大きな出来事だった。今、担任している生徒が学生時代の自分のようで、感情移入することも大きな要因の一つである。

 

 母からの言葉も大きかった。家族との関わりや家庭環境というのは、その人の育ちにとても影響するってことはこの仕事をして、より思うようになったけど、結構深く傷ついてるのかもしれない。マザコンなので、母のことは大好きですのでご安心を(笑)小さい頃は、発育のために勉強に支障のない程度に体を動かす習慣を身につけさせたいってことで、運動をさせたいと思っていたようだ。それで、自分はサッカーを選んだ。プロになりたいと考えたこともあったし、中学受験を辞めてサッカーを選ぼうとしたこともあった。でも、その夢も追いかけずに自然消滅してしまった。中学に入って、ソフトを始めた。思春期だからか、親の言葉も無視して勉強より部活を優先して、生きがいにまでなっていた。自分の中の大事なものを見つけた気がしていた。そして、自分を一番表現できるものだとも思っていた。それを、母には受け入れてもらえなかった。部活を辞めさせようと必死だった。歴代の担任に懇談時に相談をしていた。そんなことまでして、、、って思うけど、母なりに必死だったんだろう。体育の先生になりたいって話した時もいい顔をしなかった。体大への進学を決めた時もたった一人反対をしていた。大学の入学式前日まで、自分に文句を言っていた。「部活をして何になる」「運動ができても何も意味もない」と言われ続けてきた。それでも、自分を信じて周りの前向きな言葉に励まされて頑張ってこれた。ここまで来れた。今、幸せ。だから、この道を信じて生きてきてよかった。周りの方々にも感謝だとつくづく思うのである。

 

 自分の最も苦手なことは、手先の器用さを利用して何かをするということである。絵が描けない。料理ができない。ものを作れない。この仕事をしていることもあって、否定形を使うのは好きではないけど、ネガティブ出身の自分にはどうしても使ってしまう、、、真剣に考えすぎなのかもしれないが、美術も家庭科も苦手だった。学生の時はやはりしんどかった。苦痛だった。それでも、自分には体育があるって思い続けて誤魔化して生きてきた。でも、体育が生きている中で役に立つ瞬間なんてないに等しいと今感じている。母の言うことは、本当だったのかもしれない、、、自分の手で何かを作ることのできる人は、心の底から尊敬する。ということで、1週間ほど前から、凹んでるわけです。

 

 でも、今はかなりマシな状態です。なぜかと言うと、一緒に働かせていただいている先生から温かい言葉をいただいたから。いろいろな言葉をいただいたけど、「苦手なことがある先生の方が、向いてるよ」という言葉が最も刺さった。そう思って生きてきて、やっぱり違うかなって思ったけど、そういう言葉をいただけた。ありがたかった。少し自信を取り戻せた。「他の仕事でもやっていけると思うけど、先生頑張って欲しいな」という言葉も心に残っている。自分も辞めたくない。「悩むのもいいじゃない」「得意なことを誇りに、苦手なことをカバーしていこう」「みんなで助け合っていこう」と思えるようになった。劣等感を抱かなくなったのは、35歳の頃だったと教えてくださった先生も、この先生です。まだ自分は青い。若い。24になろうかという人間に、プライドもなかったら伸びるものも伸びないのかもしれない。でも、上手に折り合いをつけて劣等感をしまいながら生きていかなきゃね。