その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

言葉の力

 発言でも活字でも何でもいいのだが、とにかく言葉が日常には溢れている。SNS、新聞、テレビ、ラジオ…数え切れないほど様々なところに転がっているのが言葉である。その言葉が励ましになったり元気づけられたり、はたまた傷つけてしまったり嫌な気持ちにしてしまったりすることがある。それは言葉を使う者次第で変わってくる。以前、このブログで「思ってもいないことが言葉として出てくることはない」という話をしているのだが、やはり心の問題で心に余裕がないと優しい言葉は扱えないし、心が尖っていればそのまま言葉にもトゲがあるようになってしまう。誰しもそうだが、嬉しい言葉をかけられたことも悲しくなるような言葉をかけられた経験もあるだろう。もちろん自分もどちらもある。しかし、自分は周りにかなり恵まれているため嬉しくなるような、励まされるような言葉をかけられることが多かった。ありがたい話である。

 

 こんな自分にも気分が沈む時がある。もちろんそれは表には出さない。助けを求めるのは苦手だが、何度か「話を聞いて欲しい」と切り出したことがある。当然、相談相手の友だちや恩師は快く引き受けて話を聞いてくれ、自分を刺すようなことを言わない。温かい言葉をくれた。その言葉に支えられて立ち直ってきたと言っても過言ではない。弱っている時にかけられる言葉はお世辞だって何だって良くも悪くも響く。言葉は大きく人生を左右するものだとずっと思っている。

 

 「いいところいっぱい知ってる」「一緒に頑張ろう」たったのこれだけでいいのだ。子どもみたいな励ましの言葉でいいのかと思われるかもしれないが、こんなことでいいのである。無責任なことは言えないが、「前を向いてやっていこうよ」というメッセージ性を含んだ言葉なら当事者に届くと思って自分は意識している。逆に「〇〇に言われたからやってみたけど、無理だったじゃねえか」と誰かのせいにするのはお門違いである。背中を押してくれただけで、結局そうすると決めたのはその人自身だと思うため自分も人のせいにする行為は絶対にしない。「もう少しやってみれば届く」と言われれば、苦手科目も手をつけざるをえない。自分はそういうタイプだった。先生たちからすればそういった意味で扱いやすい生徒だったかもしれない。ベタだが「君ならできる」と言われれば、「やってみるか」と重い腰でさえ上がる。言葉にはそんな力がある。

 

 人間誰だって1人で生きていける人なんていない。誰かに励まされ、慰められ初めて生きていけるものだと思う。そんな中で言葉は非常に大事である。言葉をどう使うかはそれぞれだが、人を明るくしたり救うような言葉を扱える人間が増えることを願っている。それで助かる人がどれだけいるか一度考えてみて欲しい。その逆も然りだ。言葉は丁重に扱おう。