基本的に隠し事はしないタイプ。何も知られたくないこともないし、自分には隠す必要がないことばかりだとも思っている。しょうもない人生なのかもしれない(笑)そして、隠すことも面倒くさいと思っている。思春期の頃も、「どこ行くの?」「誰と遊ぶの?」と自分の場合は母親ではなく、一緒に住んでいる父方の祖母が思春期とか気にせずこういうことを聞いてくる人なのだが、隠さず正直に答える方が楽だと思っていた。自分には反抗期がなかったからよかったけど、妹はかなりしんどかった様子。まあそれはいいとして。
そんな自分にも、唯一家族にも言えないことがある。それは、自分の恋愛対象について。自分はいわゆる『セクシュアルマイノリティ』である。詳しく言えば、FTXと呼ばれるもの。恋愛対象は、今は女性で自分の性別は、男性でも女性でもなくどちらとも言えないと自分では感じている。気づいた頃は、中学2年。幼少の頃は、男性が好きだった。でも、小3でサッカーを始め、『カッコいい自分になりたい』気持ちが強くなっていった。『可愛い』と言われるより『カッコいい』がしっくり来ていたのは、今思えば幼少の頃だったかもしれない。カッコいいに憧れを持って入学した中学校。自分は中学受験をして、女子校に入学。カッコいいと言われる日々で、どんどん自惚れていった。みんなチヤホヤしてくれた。でも、入学当初は何とも思っていなかったが、同期の中での推しもできた。『こんな子と付き合えたらいいな』と思っていた。この時はふんわりとしか思っていないし、自分の性についても考えていなかった。この感情が恋だとも分かっていなかったのかもしれない。
そして、中学2年の時に学年も教科も全く関係のない女性の先生に惚れた。その時から彼女に夢中。叶うはずない恋だと分かっていても、追いかけない選択肢は取れなかった。振り向いてもらえなくてもいい。相手にされなくてもいい。そこまで覚悟を決めて、自己満だけど高校卒業まで思いを温めて胸に持っていた。高校卒業までの4年ほどの中でもいろいろなことがあった。相手が結婚して、もっと距離ができた時があった。自分も子どもで、『どうにもならない』ことが分かっていたのにも関わらず、彼女に冷たく当たった時期もあった。無視もした。子どもだったなと今思えば情けなくなる。それでも、彼女が好きだった。頑張っているところを見せたいのは、いつも彼女だった。彼女が見てくれているだけで、頑張れていた。少し疎遠になったけど、また再熱して高校卒業まで想いを伝え続けた。でも、やっぱり想いに応えてはもらえなかった。諦めた。
でも、それから7年ほど経つけど、全くいい人は現れない。自分にとっては青春で大恋愛だった。
今も『いいな』と思うのは、女性ばかり。だから、今の日本では結婚ができない。しかも、家族にはこのことは一切伝えていない。結婚の話になればはぐらかすしかない。いつも適当に言葉を返している。子どもは欲しいけど、そういう話も難しいとなると二の足を踏む。まずは、『この先一緒に生きていきたい』と思える人が出てこないことには何も始まらないのだが。そういう人が出てきたら、家族に紹介したいとも思うのかな。今は、『好きな人ができますように』と願うばかり。