その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

支えてくれる人、励ましくれる人

 「友だちと遊ぶことは確かに楽しいが、一生ものではないだろう」と幼い自分は思っていた。自分が悪いのだが、学校でも勉強をして放課後も習い事に明け暮れ友だちとの時間をわざわざ取ろうとしなかったせいで、自分は友だちの大切さを分かっていなかったのだ。「ただのクラスメイト」「ただ同じ学年になっただけの人たち」としか思えていなかった。大前提として小学生の頃の自分はかなりひねくれていて腐っていた。「友だちがいて何になるのか」とまでに思っていたのである。サッカーをやっていたが、本心で信頼しているとチームメイトについて言えていたかと言われればそうでないのだろうと今では思う。その場でワイワイやる分にはいいが、それ以上のことを周りに求めていなかった気がする。

 

 しかし、中学校で一生ものだと言える仲間に出会えた。友だちではなく仲間だ。切磋琢磨でき、尊敬することのできる人たちが自分の仲間となってくれたのである。もちろん小学生の頃は「友だちなんて」と鼻で笑っていた自分であるため、中学入学直後は全くクラスメイトに声をかけたり「早く友だちを作らなければ」と焦ったりしたこともなかった。そんな概念を覆されると思ってもみなかった。心の底から信頼できて尊敬できる仲間と挑む学校行事は何事も楽しかった。嬉しいと思えたことも悔しいと思えたこともあったが、それが全ていい思い出として残っている。小学生の頃の自分では考えられない。本気で大事だと思えていない人たちと何をやっても悔しい気持ちなんて芽生えないのは当然である。どんな些細なことも楽しかった。日常の一コマを切り取ってみてもたくさんの思い出が蘇る。高校の時も同じ仲間と一緒にたくさんの経験を積むことができた。一生の財産になっていくのだろうと常に思っていて、そのようなことがあるという事実がありがたく喜ばしいことだと思っている。今思えば本当に頭を上げられないほどに仲間には感謝をしている。

 

 大学生になった今でも彼女たちは自分のことを支え、励ましてくれている大きな存在である。この関係がいつまでも続けばいいなと夢を見ることもしばしばある。人間にとってそういった存在は必要不可欠で、存在することに感謝すべきなのである。それを自分は小学生まで分かっていなかった。本来大事にすべきものを見れていなかった。反省すべき点である。仲間の存在でそれだけ自分が生きやすくなっているのかを深く自覚すべきだった。これからも大事にしなければ天罰が下るほどに力になってくれている。大事にすべきもの、優先順位を考えて今後も考えて生きていきたい。