その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

向いていないからと辞めない理由

 夢の類で向いていることと向いていないことを判断することは難しい。自分もこれまで向いている、向いていないで夢を決めたことはない。慎重派だと思っているが、その中では本能のままに行動するタイプである。言ってみれば面倒くさいタイプかもしれない。向いているかどうかというのは自分の中ではあまり気にしていない。好きなことや情熱を注げるものでないと長くは続けられないと思っているため、自分は向いていることよりも好きなことを大事にしたいのである。

 

 小学生の頃、ピアノが得意だった。でも、ピアノが自分がやっている習い事の中で最も嫌いな習い事だった。嫌いだったため、もちろん家での練習はほとんどしていなかった。それでも発表会ではそこそこに弾けていたし、難しい曲も弾かせてもらえていた。でも、自分は音楽の道に進みたいと思ったことは一度もない。歌手になりたいと思ったことはあるが、ピアニストになろうとか音大に進学したいと思ったことはない。向いているからその道に進もうと思わないタイプなのかもしれない。ゲームクリエイターになりたいと思った時も、医者になりたいと思った時も「自分になれるか」「やっていけるのか」と考えたことはない。「自分がやってみたいかどうか」ということが自分の中で最も大事にしていることなのである。

 

 そして、この夏一度夢が破れた。「もしかしたら向いていないのかもしれない」とも思った。でも、こんな状況でも自分にはそんなことは関係ない。「やりたいかやりたくないか」が大事なのである。大学で出会った友人が大学3年の時に「夢を変える」と言い出した。自分は正直ショックだった。せっかく同じ大学に入学して同じ夢を志す仲間が夢半ばで諦めたとなるとやはり悲しかった。諦めることは悪くないと思うのだが、まだ勝負をする前に「向いていないと思うから」という理由で諦めてしまったから自分はショックを受けた。これを教員をしている父に話したら、「教師生活33年向いているか向いていないか考えたことはないし、分からない」と言っていた。やってみて向いているかどうか分かっていない人がこのように実際存在するため、向いていないとやっていない前から断定するのはやはり違うと感じている。だから、今回自分は諦めるという決断はしなかった。

 

 結局はパッションだと思う。心躍る方を選ぶという選択をこれからもしたいと思うため、自分はやりたくもない仕事をしたり興味のない会社に就職したりすることを選ぶということはしたくない。向いていないかもしれない。それでも、嫌なことをしてモヤモヤして生きていきたいとは思わないため許される限り夢を追っかけていきたい。