その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

24歳手前にして思うこと

   あと10日で24歳。こうして1年1年歳をとっていくことに、喜びを感じなくなってきた。昔は、たくさんの「おめでとう」の言葉をもらえ、ケーキが食べられ、プレゼントをがもらえる大好きな日だったはずなのに。自分も歳をとったわけだ。そりゃ父が還暦から遠くない年齢になったのだから、当然だ。

 

 24歳はどんな暮らしをしているのかと具体的に考えたことはなかった。とにかく大人になるのが嫌な「ピーターパン」だった。今思えば、ただの甘えだ。自分のやることに責任を取りたくなかったし、働いてお金を稼いでみたいとも思ったことがなかった。のくせに、やりたいことだけは一丁前にあり、理想だけは語っていた。ゲームクリエイターになりたいと思ったこともあったし、勘違いしてカッコつけてたこともあったし、、、自分なりに濃い時間を過ごして生きてきたと思っている。

 

 「挑戦したい」と言ったことは何でも挑戦させてくれる両親だった。絶対にさせると母が決めていた習い事をやりさえすれば、プラスで習い事をさせてくれた。でも、一番両親を驚かせてしまったのが、恐らく中学受験だ。一般市民が、中学から私学へ行くなんて誰も思っていなかったし、贅沢すぎる話だった。それでも、反対されなかった。中学の時、短期留学にも行かせてもらった。結局大学までずっと私学を出してくれた。何でも好きなように生きさせてくれた。そんな両親の子どもだったから、のびのび育つことができたと思っている。

 

 そんな両親に育てられ、何も不満も後悔もない。ありがたい人生を送ってきたなと思う。やりたいことは全てさせてもらえた。たくさんの進路変更でたくさん両親を振り回してしまったからこそ、感謝の気持ちも強い。今の自分があるのは、確実に両親のおかげである。

 

 24歳手前。社会人2年生。まだまだ社会なんて偉そうなことは分からない。でも、突然学生から社会人になって、社会の荒波に揉まれ始めている。まだ気持ちがついていかないことも、自覚が足りていないこともきっとある。それでも、社会に出ればもう「大人」なのである。この厳しい現実を受け入れられなかった。新たな挑戦の合図。振り返りたい気持ちも、後退りして逃げたい気持ちも正直あった。それでも、そんなこと通用しない。自分で選んで判断して決定してきた道だったから余計だ。両親に弱音を吐いても、「知らない。自分で選んだ道だろ」と言われ、きっと取り合ってもらえない。でも、それでいいのだ。それが当然の親としての在り方である。「いつまでも甘えるな」「これで社会の一員だ」といったメッセージが込められているのかもしれない。

 

 とにかく目標を立て追いかけ、人間としても教師としても成長していけるように、24歳も自己研鑽を積んでいくだけである。24歳も小さな夢をたくさん叶えていけたらいいな。