その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

体育会系文化

 「体育会系」とは、一言では言い表せないが「上下関係」「その場のノリと根性」「考える前に即行動」「明るく元気」などのワードが浮き上がってくる。自分もサッカー・ソフトをしてきたためずっと体育会系のコミュニティに入っていた。自分自身で「体育会系だ」と何も考えずに思っていた。でも、体育会系文化を推奨するのを辞めた。もちろん、高校生くらいまでは体育会系であればメリットがたくさんあるように思えていた。クラスの代表を任せてもらえたり、クラスの中で目立つ機会が多かったり、そして体育系の学校行事では活躍の場が広がったりと体育会系であることを誇りにすら思っていた。

 

 しかし、高校生の頃自分が所属している部活に疑問が湧き上がってくるようになった。先程高校生くらいまでは体育会系であると思っていたと書いてたが、きっともう高校生くらいからは体育会系から脱却していた。体育会系の何に疑問を持ったのかというと「体育会系文化が蔓延し、体育会系でない人が悪とされる」世の中の空気感がものすごく嫌だった。体育会系には分厚いルールがある。「先輩が見えた瞬間に挨拶をする」「先輩を動かさないように先回りして後輩が動く」「感覚とセンスを信じろ」などぶっちゃけ意味の分からないルールばかりである。自分は特に強豪校の部活やクラブチームを経験していたわけではないため、説得力に欠けるかもしれないが体育会系文化は軍隊を作るということをしているようでいい気がしない。「先輩を立てる」「敬語を使う」というルールは当たり前のようにある。自分も中学生の頃、ふざけて先輩にタメ口で話しているとそれを見ていた違う先輩に呼び出されて怒られた。自分が思うに敬語を使わないからといって先輩と思っていないだとか尊敬していないだとかというわけではないのだから、そこまで厳しく言わなくてもいい。未だに先輩を立てて忖度をして先輩の機嫌を取らなければいけないのか、目上であるから敬語を使わなければいけないのか理解に苦しむ。もちろん自分も後輩にして欲しいことなどない。それほど先輩後輩の関係を考えていないのである。

 

 そして、大学生になった。体育系の大学へ進学し体育教師を目指していた。当然のことのように周りの人間は自分は部活をすると思っていた。実際自分は無所属で4年間過ごすことを決めた。いろんな人に「部活するのかと思っていた」「そこまで運動好きじゃないの?」と言われた。スポーツが好きで体育を選んでいるのに、したくないわけがない。それ以上のことを考えているのかもしれないとなぜ考えられないのかとも思った。そういう固定概念に型にはまりたくないと思い、そういう決断をした。部活をしたいと入学前には考えていたが、いろいろな理由がある中の一つが体育会系文化への自分の考えは通用しないのだろうと思ったため部活には入らなかった。

 

 今でも「体育教師になるんだろ?」と言われることがある。「体育教師なら厳しくあれ」というメッセージなのだろうが、それがどうも理解ができない。体育教師にはまだ暴力というイメージがついてしまっている。本当に残念なことだ。生徒指導を行うのはこれまでも今も体育教師というのも嫌である。しかし、学校側から求められることは「体育教師らしく」なのだろうが、自分はその意向に従えない。中3の時、ハンドボールを蹴っていて当時担当の体育の先生じゃない先生に怒鳴られた。「何のボール蹴ったか言ってみろ!!!」みたいなことを大声でその先生は言っていた。自分は怒られている中で「なぜそこまで声を張り上げそこまで真剣に怒鳴れるんだろう」と思っていた。今でもこう思うことは変わらない。「蹴ってはいけないだろ!」と一言で特に声を張り上げずに注意を促す程度で十分であると思ってしまう。ハンドボール一つで5分、10分説教するなんて自分の中では考えられない。これは勉強になったということではなくて、完全なる反面教師である。

 

 自分は専門が保健体育である。だから、学校から保護者から求められるということがあるのだろうと思うが、自分は申し訳ないが全くその要望には応えられない。まず怒ることが苦手で、厳しいことをチクチクネチネチ言うのも本当にやりたくない。だから、大学生の頃から目指していたのは「体育会系でない体育教師」である。春から特別支援学校でお世話になるため、一般校よりそこまで求められないとは思うが体育会系イズムみたいなものを強要されるのは御免である。生活習慣を整えることや人として大事なことを中心に教授していきたいし、指導なんて堅苦しいことはしたくない。