その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

自己嫌悪になった過去

 基本ネガティブだが、そんな中でも前向きに生きている。「自分の持っている力で全力を尽くそう」と常に思っていて大事にしていることである。だから、自分にそこまでいい意味で期待をしていないため、自分のことをそこまで嫌いになることはない。そんな自分が自分のことをどうしようもないほどに嫌いになった過去について今日は話をしていきたいと思う。

 

 自己嫌悪になってしまった理由として、「他人に迷惑をかけているのが辛かったから」というのが最大級にある。事の発端は、高校の部活である。高2の5月に1つ上の先輩が引退した後、しばらく次に向けてやっていこうという前向きな気持ちにはなれなかった。先輩たちと部活をしてきた約4年がとても思い出深いし、先輩たちがいない部活は考えられなかったのだ。そして、これからはずっと先輩任せで自分のことだけを考えていればいい環境にいたのが、全体を見て引っ張っていかなければいけない立場になった。分かっていたことだったが、そういった現実を一気に突き付けられた気がしてどうすればいいか分からなくなった。でも、このことに関しては中1からずっと一緒に頑張ってきたたった1人の同級生と助け合っていけばいいと思っていたため、自己嫌悪になる理由にはならない。

 

 自分は、僭越ながらピッチャーをやらせてもらっていた。中1でソフトを始め、ピッチャーに強く憧れを抱き、先輩の2番手として投げさせてもらっていた。それも、これからは自分1人で投げていかないといけないということである。それが1番の不安要素だった。ソフトはピッチャーが9割責任だと思っているため、全ての責任は自分にあると勝手にチームの明暗が自分にかかっていると背負いこんでいたのだ。ピッチャーのことは同級生に相談することなんてできないし、そもそもしてはいけないと思っていた。自分の中で解決しなければいけないとずっと感じていた。でも、そういうことをしているといつか限界が来るのだ。先輩が引退して、追い込めば追い込むほどピッチングが悪くなる。そして、チームに迷惑をかけてしまう。そうなれば悪夢の悪循環の始まりである。高2~高3の間は帰り道よく泣いたものだ。そうなれば、同級生に心配をかけることになる。そして、同級生だってピッチャーの専門的なことは分からないのである。でも、泣いている同級生を放っておくことはできないということでだとは思うが、よく優しく話を聞いてくれた。「自分なんていない方がチームのため。もっと言えば、同級生のためだ」と思うようになった。でも、ソフトは好きだしととても葛藤した。後輩に申し訳ないという思いももちろんあったが、同級生に足を向けて寝られないほどに申し訳なさと感謝があった。自分なんかと比べものにならないほどにセンスがあって強いチームでも通用するような選手だっただけに余計罪悪感があった。何度も「迷惑しかかけないからやめろって言ってくれてもいい。やめてくれてもいい」と伝えていた。それでも、「最後まで一緒にやりたい」と言ってくれていた。嬉しかったが、その優しさに押し潰されそうになった時もあった。その言葉に甘えさせてもらい、約5年のソフト人生に幕を閉じたわけだが、たった一度だけ自分のことを嫌いになった頃があったということだった。

 

 泣きたくなくても涙が出る日々。どうあがいてもよくならないピッチング。それに伴い募る不安。これらが原因で自己嫌悪になったのだ。しかし、これらは自分で蒔いた種だ。ピッチャーをさせて欲しいと言い出したのも、続けようと決心したのも自分。誰のせいでもない。でも、このことがきっかけで責めすぎるのもよくないと思うようにもなった。助けて欲しい時は助けて欲しいと素直に言った方がいい。自分の場合、自分の世界で籠ってしまっていたから、より一層誰もそのことに気づかないし、その世界で自分で自分を刺して苦しんでいる構図ができてしまっていたのだ。それに今では気づくが、当時は分からなかった。同級生を苦しめているという現状が自分が苦しくなってこうなってしまっていた。反省している。自分自身の殻に閉じこもることはいかなる時でもしてはいけないと学んだ。