その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

人生3度目の手術

 熱も出さない。転げて膝に擦り傷すら作らない。昔からいわゆる健康優良児だった。風邪をひくのも1年に1回あるかないかで、健康であることが自慢であるほどだった。しかし、手術は人生で3度経験したことがある。初めての手術は、あまり記憶のない小学1年生の7歳だった。なぜ手術したかというと、歯が1本多く歯茎にその歯が潜んでいて、本来生えてくる歯の邪魔をするということで除去することになった。小学生だったし、なぜ入院しなければいけないかことすら分かっていなかったように思う。それからというもの、手術とは無縁だった。2度目の手術はどこか体に異常が見られたのではない。18歳でレーシックをしたのだ。小学2年生の頃から学校の視力検査でBがついてしまうようになり、眼鏡をかけるようになった。中学生になるタイミングでコンタクトに移行しようとしたが、コンタクトが自分に合っておらず結局8歳~18歳の10年間は眼鏡をずっとかけて生活をしていた。レーシックをしようと決断したのには2つの理由がある。1つ目は、父が先にやっていたからだ。父も知人に勧められ決心しレーシックをしたところ、視力が戻りそれが維持されているようだったので、自分もさせてもらうことにした。2つ目の理由は、体育系の大学に進むことが決まったからである。大学では、実技の授業がある。水泳もやらなければいけない、柔道もやらなければいけない。これまでも眼鏡で体育やソフトをしてきたが、大学生になるタイミングでレーシックをして不便さを除去した方がいいという決断をしたのだった。

 

 そして、今回が3度目の手術。「右アキレス腱断裂縫合手術」というものだ。文字通り、断裂してしまったアキレス腱を縫い合わせるという手術だ。15年ぶりの入院・手術で緊張した。ここからは手術当日の話をしたいと思う。手術室まではストレッチャーという台に乗って移動した。仰向けで布にくるまれて身動きの取れない状況だった。手術室までストレッチャーを押してくれた看護師さんとはそこで別れ、お医者さんに引き継がれた。麻酔科医の先生たちがたくさんいた。手術をしてくれる主治医の先生はまだいなかった。22歳なのにかなり怖がった表情をしていたのだろう。かなり「落ち着いてくださいね」と声をかけてくれたような気がする。呼吸や脈拍を測る機械を体に貼り付けられ、点滴の針を左腕に刺された。注射が嫌いな自分は痛さを堪える声が漏れてしまった。麻酔科医の先生に「ごめんね」と謝られた。謝らないでくださいと心の中で思った。そして、名前を聞かれた後「今日手術する場所を教えてください」と言われたため、「右アキレス腱です」と返した。そこから酸素マスクをつけられ、酸素が送られた。そこで衝撃なのだが、自分の目から涙が出てきたのだ。自分でもなぜか分からなかった。点滴が怖いというのはあったが、手術が怖いという気持ちはぶっちゃけなかった。全身麻酔で知らない間に終わっていると思っていたからである。でも、涙が出てきた。それをそっと何も言わずに麻酔科医の先生は拭いてくれた。これが優しさなのだと思った。そして「眠くなるお薬入れていきますね」と言われ、頭がボーっとしてきて麻酔科医の先生が自分の左肩をポンと叩いてくれていたのだが、2回しか記憶がない。そこから眠りにつき、起きたら右脚にはギプスが巻かれ固定されていた。点滴も脈を測る機械も繋がったままだった。「え、もう終わったんですか?」と聞くと「終わりましたよ」とにこやかに答えてくれた。時空を飛んだ気がしたほどに、3時間くらいが自分の記憶からない。不思議な感覚だった。

 

 手術としてはこのように無事に終わった。しかし、自分の場合手術するまでに約3ヶ月という月日と、その間で起こった様々なことがある。それについてはまた別のブログで書こうと思っている。興味のある方はそちらを期待していただきたい。最後に、手術に携わっていただいた医療従事者の皆さんをはじめ全ての方々に感謝しかない。ありがとうございました。