その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

決めつけない

 「どうせ」という言葉ほど冷める言葉はない。「どうせできるんやろ?」と言われると一言多いのではないかと思ってしまう。その逆も然りで、「どうせできない」と決めつけられると燃えるかもしれないが、余計なお世話だと思ってしまう人がほとんどだろう。決めつけないということは非常に大事なことだろうと思っている。

 

 何をするにしても、他人に決めつけられて良い気はしないしそれより何より決めつけて良い権利などない。教育実習中に右アキレス腱断裂という大怪我をして、本来であれば電車で通勤する予定だったのだが、それが不可能になり親に送迎してもらうことになった。社会人として扱われる実習生という立場だったため、送迎してもらっていることに個人的にも心苦しさを抱いていた。他の実習生は自力で通っていたから余計だった。「どうせ送迎してもらっている」と思ったとて、言葉にしないことが重要だと思う。確証がないことを自信満々に言う人がいるのだが、違った場合にどんな顔でどんな言葉を返すつもりなんだといつも驚愕する。決めつけは良くない。

 

 大人はかなり子どもに対して決めつけが多いように思う。でも、教官はそれをしなかった。他の大人と違うと思ったところの1つだ。必ず話を聞いてくれた。決めつけでどんどん話を進めていく大人とは話もしたくないと思ってしまう。事実と違う架空の話が繰り広げられているのに、話ができるわけがない。話にならないのである。対話ができる大人というのはそういった意味で限られているように思う。自分は偉そうなことに小学生の頃から大人に絶望していた。だから、大人になりたくないと日頃から言っていたのかもしれない。決めつけないと分かっているから何でも話すことができたし、聞いてくれる安心感もあった。

 

 教育実習に行ってそれをまた感じることができた。怒るだけで終わらない、指導するだけで終わらない。その後に必ず「今の話聞いてどう思った?」「何か言いたいことある?」と聞いてくれる。自分も言いたいことも思うこともあるため、そこで発言する場合もあるし、教官の言っていることが正しいと思えば「反論はありません」と賛同の意思を伝えるのみである。誰だって意思を伝える場が欲しいはずだ。ちなみに、教官は「行き帰りはどうしてるん?」と聞いてくれた。

 

 決めつけて得をするのは、決めつけた人間だけである。決めつけられた人側からすればたまったものじゃない。話を聞いたり、相手を理解しようとしたりすることをサボる人間は決めつける習性がある。そんなことをしても、決めつけられた人間は損をするだけである。決めつけて良いことなんて一つもないと思っていることが大事だと思う。