その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

甘えた人生

 「甘やかされている」と言われたことがあるのは、父からだけだ。自分で「甘やかされている」と分かっていたが、目を背けていた。これは甘やかされているのではなく、人に恵まれているということなのだと自分の中で良いように解釈していた。今までずっと家族からも友だちからも先生からも甘やかされて生きてきた。両親には、第1子ということもあってか小さい頃は厳しく育てられた。初めての子育てで両親にとっても親1年生であるため、それは仕方ない。且つ父は教員ということもあり、生活態度にだけは厳しかった。それでも歳を重ねるにつれて怒られることも減り、特に親を厳しいと思うことは減っていった。

 

 きっとこれは悪い癖なのだが、自分にとって「好きな人」しか周りに置かない。一緒にいて楽しいと思える人、気を遣わない人、刺激をもらえる人などがこの自分の言う「好きな人」に含まれる。確かに、この状況は甘えている。自分のことを悪く言ったり、怒ったりする人はほとんどいない。小学1年生から小学6年生までピアノ教室に通っていた。音楽は確かに好きだが、ピアノの練習をするのは本当に嫌だった。毎日5分で良いからピアノに触って欲しいという謎の先生側からの願いで自分は何とかピアノを続けられていた。自分は辞めたかったが、母が絶対に続けされたいということで小学生の間は耐えしのいだ。幼稚園生の頃はリトミックに行っていて、そのリトミックの先生がピアノの生徒を募集していないため、その先生の紹介で自分がその後お世話になるピアノの先生と出会うことになった。リトミックの先生はピアノの生徒には厳しいらしく、実際に自分がお世話になったピアノの先生は真逆で本当に優しい方だった。こんなことを言っては何だが、練習をしていかなくても怒られたことは6年間一度もなかった。教育的には練習をしていっていないのだから、怒られるべきだったのだ。

 

 改めて考えてみると、自分は甘えた人生を歩んできている。そんな意識も認識もなかったが、「認識が甘い」と言われたことがかなり自分では衝撃を受けた。「あ、自分は甘えているんだ」と思うようになった。家族の中でもおじいちゃんもいればおばあちゃんもいて2人とも元気だ。だから、両親が不在の場合でも電車に乗るから駅まで送って欲しいと言えばおじいちゃんが駅まで送ってくれるし、ご飯はおばあちゃんが作ってくれるし自分が苦労することは滅多とない。そういう環境も自分にとっては良くなかったのだろう。でも、この家を出る気はない。これから働く環境で理不尽なことも腑に落ちないようなことも経験して少しは甘えた人生から脱出したいと思っている。