その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

今までで1番頑張ったこと

 「頑張る」という言葉はなぜかあまり好きではない。無理をしている感じがあるからかもしれない。でも、そんな自分も語彙力がないせいで「精一杯取り組む」以外では「頑張る」という言葉をよく口にしている気がする。だから、今回は「頑張ってきた」ことについて書いてみたいと思う。

 

 中学受験であると言いたいところだが、恐らく部活である。小4の時に中学受験をすると決め、本気で勉強したのは約3年ほど。それに比べて部活は同じ部活ということもあり同じチームで約5年強。年数ではないとも思うが、やはり人と関わっている方がその分良し悪し関係なく思い出は必然的に増えるものである。したがって、本当にいろいろとあった部活だろうと思う。自分が思ったより部活は楽しかったし、思っていたより自分は体を動かすことが好きであった。クラブ紹介なんてあてにすることなく、入部届提出可能初日にソフト部へ入部したい意向を書いた入部届を提出したことを覚えている。というのも、小学校ではサッカーをやっていたのだがサッカー部がなかったため次に好きなスポーツである野球に似たことのできるソフト部に入部した。クラブ体験もソフト部しか行っていないし、クラブ体験期間も既に入部しているつもりで練習していた。

 

 そして、ソフト部に正式に入部した。顧問に希望するポジションを聞かれた。「ピッチャーです」と答えた。2008年の北京オリンピックでの上野由紀子投手の活躍に度肝を抜かれたため、そう答えた。そこからピッチャーとして育ててもらうことになる。守備・攻撃・走塁どこで自分が活躍できそうか、初心者であったため全く当時は分からなかった。しばらくしてバッティングも素振りから教えてもらえることになり、自分は左打ということが分かった。超弱小チームだったが、自分の1つ上の先輩が6人、自分の学年が3人いたこともあり基礎もできていないのに、公式、練習試合関係なくたくさん経験は積ませてもらった。初めて試合に出たのは、中1の夏で4つ上の先輩とも一緒に試合に出ていた。自分は7番センターくらいで出場した気がする。もちろんフライは頭上を越すわ、三振の山を築くわでてんやわんやだったことを覚えている。当然活躍などできるわけがない。自分は運動神経が悪いため活躍できなかったが、他の同級生は勘が良いのとセンスがあるので活躍していた。学年まとめて「上手い」と言われることが多かった。まとめてくれるなと何度も思った。自分は自分で言うのも何であるが、努力の人間である。自分の場合、努力してからがスタートである。センスの塊である2人と並べられては全く勝ち目などない。それが辛いと思っていた時期があった。

 

 どうあがいても同級生と違う学年になったり、同じくくりにされなくなったりすることはありえない。ではどうするか。練習するしかなかった。2人より練習した。球も投げた。バットも振った。それで対等に並べるかなというレベルになった。でも、2年ほどかかった。優秀な2人がいることには誇らしく思っていたが、迷惑をかけたくなかったため必死だった。ヒット1本打つのも時間がかかった。それでもなぜかソフトは楽しかったし、おもしろいスポーツだと思っていた。

 

 初ヒットを放ったのは中2だった気がする。これだけでも技能のなさが伺える。ピッチャーとしてもまだまだで先輩を追い抜くことなんてできなかった。そんな時、同級生でケンカした。自分以外の2人がケンカをしていたのだが、もちろん自分も巻き込まれないわけがない。中3の冬には、同級生が1人辞めた。とても戦力になる子だったので、引き止めたかったがやる気がないのであれば、自分は引き止めないと昔から決めている。だから、この時も引き止めなかった。もう1人の子と二人三脚でやっていくことを決めた。

 

 中2で出た総体では逆転サヨナラ負けをした。本当に悔しかった。中3で自分の引退試合は圧倒的な差で負けた。常に先輩と出ている試合で負けた試合の方が良い試合をしていたし、負け方も比べるまでもなく悔しかった。そんなこんなであっという間に中学のソフト人生は終わったのである。

 

 そして、高校生になった。内部進学で部活も変わらない、本当に何も変わらないが新たな気持ちでソフトを楽しんでいこうと思っていた。高校でこそは満足のいくソフト人生を送ろうと決めた。高1の春。高校生になったばかりの公式戦でボロ負けをした。他校は新メンバーで我々は今までとメンバーが変わらないのにも関わらず、負けたのである。やはりこれは放っておくことができない状況だと感じた。4月の下旬にこの試合はあったのだが、やる気が感じられない先輩がいたためGWに予定されている練習試合に参加するか否かを決めるよう言われ、我々は話し合いをした。自分は悪く言えば、立場をわきまえない、良く言えば自分の意見を伝えることができるため、先輩だろうと関係なくしっかりと「やる気のない人とソフトをやろうと思わないので、GWの練習試合はなしにした方が良いと思います」と言った。これが生意気だと思われ3日間ほど無視された。でも、自分からすればどうだって良かった。そんなことくらい覚悟していたし、時間が解決すると思っていた。

 

 そこから夏休みの懸命な練習を経て、秋に前代未聞の県大会出場を決めた。これもギリギリで勝ち取った切符だった。そりゃ弱小チームなのだから当然のことである。それでも泣いて喜んだ。ソフトを始めて初めて結果が出た瞬間だった。こんな大舞台に立てる日が来るなんて思ってもみなかった。実は、この夏に行われた大会で今まで1点も奪えなかった強豪校からホームランを放つほどに調子が良かった。ちなみに中3くらいから3番ファーストで試合に出場していた。そのうなぎ上がりの調子のまま秋の県大会予選に臨むことができていた。運も良かったのである。最終予選の試合ではプロ野球で言う猛打賞をもらえたほどに打った記憶がある。あの試合は本当に楽しかった。

 

 高2になって、先輩たちの引退試合で逆転負けをしまた悔しい思いをした。先輩と嫌と言うほどに一緒の時間を過ごしてきたが、共に試合に出ることはもうないのかと思うと涙が止まらなかった。この引退試合の約1年前に同級生と2人も一緒に先輩たちと引退する気で、先輩たちに話した。先輩と一緒にやってきたソフト人生だったし、自分たちが1番上に立って後輩たちを率いていく自信はなかったし、先輩たちとどれだけ戦えるかということを考えてやってきたので、十分だと思っていたのだ。それでも、後輩たちのことを思うとそれはやって欲しくないと言われたため、あと1年踏ん張ることにした。

 

 高2の夏から先輩たちがいない環境でソフトをやっていくこととなった。しかし、これが茨の道以外の何物でもなかった。簡潔に言うと、引退までの1年間のほとんどピッチングの調子が悪かったのだ。高1は何事も調子が良く、先輩よりも調子が良かったのに先発投手にしてもらえず顧問に先発投手にして欲しいと直談判した日が懐かしい。ちなみに年功序列だから無理だと却下された。でも、高2の夏以降からあまりピッチングの調子が良くない状態が続くことに焦りを感じていた。高3になる春休みは、盛っているとかではなく毎日泣いて家に帰っていた。30分電車に乗って帰るのだが、その間に気持ちを整理して家に帰っていた。同級生も毎日慰めてくれた。自暴自棄になっていたので、本当にそんなことをされては困るのに、「才能があるんだから、こんなところにいてはダメだ。強豪校でソフトをするべきだ。」なんてことを言っていた。秋ごろに自分に何ができるかを考え、毎日100球の投げ込み、100回の素振り、30分のランニング、筋トレ・体幹を行っていた。それでも調子が上がらなかった。しかし、引退試合直前の練習試合ではとても調子が良く、あれが引退試合であったら良かったのにと今でも思う。そして、引退試合はストライクが入らなくなり、試合を潰すこととなってしまった。高2の時とは違う意味で涙が止まらなかった。チームメイトにしんどい思いをさせたことと、何より同級生には最後の試合をこんな形で終わらせてしまったことに申し訳なかった。それでも、一緒にソフトができて楽しかったと言ってくれた。なんて心の広い人なんだと改めて思った。4番ピッチャーを任せてもらえた1年間だったが、何にも仕事はできなかった。

 

 こうして約5年強のソフト人生は終わった。ここまでのエピソードは中学受験にはない。だから、部活がこれまでで1番頑張ったことだと思うのである。しかし、ここまで部活を続けられたのには理由がある。そもそも中学受験をしたいと言ったのは自分であり、勉強をすると言ってさせてもらった。でも、いつの間にか部活に打ち込むようになった。母は部活に意味を見い出せず、勉強を頑張って欲しいと思うタイプの人間であるため、部活を辞めさせようとしてきたし、担任の先生との懇談の際に必ず辞めさせたいと言っていた。その度に担任の先生に部活は大事だと逆に説得されてしまい、諦めているようだった。そういった意味では、担任の先生に感謝しなけれなならない。ましてや今スポーツの道に進んでいるのだから、部活をしていて良かったと思えている。

 

 プロにはなれないし、大活躍選手みたいな感じでもないが自分にとって大きな財産である。少々今進んでいる道にプラスになっているし、やってきて良かったと思う。これは教育実習でも生徒に言わせてもらったのだが、「とにかく熱中できることを1つでも良いから見つけてそれと真剣に向き合うこと」が大事だと思う。勉強をしなさいとその子の才能を見ることなくその子の本気になれることを勉強だと決めつける大人が多すぎる。一生懸命になれるものがあれば、それが生きがいになるし必ず自分自身を助けてくれることになる。何でも良い。頑張れるものを大事にするべきだと思う。