その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

家族の死

 人間産まれてから死に向かって生きていく。母が幼少期にお寺さんに聞いた言葉である。確かにそうなのだが、あまり「死」については考えたくない。もちろん家族が死んでしまうことなんて考えたくない。でも、必ずその日は来てしまう。現実から目を背けることはできない。

 

 自分はおじいちゃん、おばあちゃん、父、母、自分、妹の6人家族である。二世帯住宅で父方のおじいちゃんとおばあちゃんと暮らしている。というよりか、居候である。ローンは全ておじいちゃんとおばあちゃんが払い、リフォーム代を少々父と母が出したそうだ。まあそんな感じで一緒に住まわせてもらっているから、産まれた瞬間からおじいちゃんにもおばあちゃんにも見守られて自分はこれまで生きてきた。正確に言えば、おじいちゃんはメキシコへ出張へ行っていたため、産まれて少し大きくなってから会っている。空港に迎えに行き、おじいちゃんと初対面しているビデオも残っている。妹が産まれということでおばあちゃんと自分は病院へ向かったのだが、おばあちゃんは病院からタクシーが出ていないということで2歳になったばかりの自分を家までおんぶで約40分間歩いて帰ってくれた。これは我が家ではおばあちゃんの武勇伝でもある。

 

 たくさん旅行にも連れて行ってもらった。たくさんおいしいものも食べさせてもらった。とにかくよくしてもらったのだ。残りの人生どのくらいあるのか分からないが、この恩を返すのにとてもじゃないけど時間が足りない。それほどお世話になっている。おじいちゃんとおばあちゃんは静かな老後を夢見ていたかもしれない。でも、孫である自分と妹を精一杯可愛がってくれた。もちろん今もそうだ。大学生になり、初めて親元を離れて生活していたため常に気にかけてくれていた。そのおかげもあって何不自由なく暮らせていた。おじいちゃんとおばあちゃんも年寄りと暮らしていて嫌じゃないのかみたいなことを言ってくる時があるが、自分にとっては得しかない。これは余談だが、そのおかげで自分は何もできない人間だった。例えば母が倒れてしまっても、おばあちゃんがいるため掃除も炊事も洗濯もできなければならない状況がなかった。

 

 そんなおじいちゃんとおばあちゃんが死んでしまうことなんて本当に考えたくない。父から言われたのだが、高校を卒業するまでの18年間一緒に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんへの思い入れはやはり特殊だろうと思う。確かに、様々な思い出が蘇ってくる。一緒に住んでいない孫よりかは、おじいちゃんとおばあちゃんも距離は近いと感じてくれていると信じたい。そして、これは時代錯誤というわけではなく、シンプルに我が家を継ぎたいという気持ちがある。おじいちゃんも父も長男で、自分は長女である。妹には何の責任もないが、自分には我が家を守っていく義務があると誰からも言われていないし、逆にそんなことは考えなくて良いとおじいちゃんとおばあちゃんも言ってくれているが、勝手に思っている。ご先祖様を大事にして、お経を覚えてお墓を綺麗にしていたい。これくらいのことは当然のように考えている。そして、おじいちゃんとおばあちゃんがまだ経済的に余裕がない時に建てた自分の実家に住んでいたい。

 

 現在おじいちゃんは80歳、おばあちゃんは79歳である。認知症を患っているわけでもなければ腰も曲がっていないし元気だ。ありがたいことに自分は自分のことだけに集中できる。自分がケガをしたことによって改めて思ったが、健康であることがそれだけ家族を救っているか分からない。1人が動けないとなると家族全体のスケジュールが狂う。だから、本当におじいちゃんとおばあちゃんの元気さに助けられている。

 

 冒頭でも書いた通り、いずれおじいちゃんもおばあちゃんも父も母も、そして自分も妹も死ぬ。もちろん「順番通り」が望ましい。親より先に死んでしまうことは親不孝だと教えられて自分は育ってきた。親よりは長生きすることが目標である。家族の死はどうしても考えたくないものだが、必ず来るその日をどう迎えるかは今から考えられること。跡を継ぎたいと言っているからには、しっかりと考えていきたい。