その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

考えることをやめるな

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「考えることをやめるな」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 考える=脳みそを働かせることだと思っているので、とても大変なことだし疲れることでもあると思っています。でも、考えることをしなければ自身の予期せぬことが起こったり、そういうことが起こってしまった時に絶対に後悔をしてしまうと思うため、考えることはやめてはいけないと思います。

 

 中学校・高校の部活で6年間ソフトボールをしていました。でも、才能もセンスもありませんでした。子どもあるあるかもしれませんが、入部すると同時に1番注目を浴びる「ピッチャー」を志望しました。その頃はこれから新たに始めるソフトボールにたくさんの希望を抱いて、ワクワクしていた且つ偉そうに「頼られるピッチャーになりたい」「このチームを救う存在になりたい」と意気込んでいました。しかし、現実は甘いものではありませんでした。大好きなバッティング練習やシートノックのみんなでできるような練習をやる時間は少なく、ほとんどの時間をピッチング練習に費やしていました。試合や大会が近づいてくるとより一層投げる球数は増えるし、肉体的にも精神的にもしんどい時期は正直ありました。ストレートが走っている時や新しい変化球を習得した時は投げていることが本当に楽しかったし、試合や大会で三振を量産した時は本当に嬉しかったです。でも、そのような良いことばかりが続くわけがありません。ここで改めて言っておきたいのですが、ピッチャーというポジションは向いていませんでした。ソフトボールがチームプレーの競技であるとは言ってもピッチャーは孤独だし、自分は精神的に強い方ではなかったので向いていないということには薄々気づいていきました。しかし、自分から「やりたい」と声を上げたものを「辞めます」と退くのは性にあわないのでそれだけはしたくないと思っていたので、チームにも支えられ6年間続けることができました。向いていないということで、やはり先程書いたように良いことより悪いことの方が記憶に残っています。練習中に頭を抱えたことも、話にならない試合にしてしまったことも、試合後に涙を流したこともたくさんありました。向いていないと分かっていても自分の中で辞めるという選択肢はなかったので、何とか続けたくてその中で続けていたことが「考える」ということでした。「フォームを変えた方が良いのだろうか」「先輩ピッチャーと差別化をはかるためにはどの球種をマスターしようか」とたくさん考えました。試合中の投げている姿をビデオに収めてもらったものを何度も見返したり、仲間に「腕がどうなっているか見て欲しい」「脚がどういう動きしているか見て欲しい」と頼んで見てもらったりして考えることもやっていました。どんなドン底でも周りに「辞めて欲しい」と言われそうな状況でも考えることをやめなかったから、向いていない中でも良い景色も見れたのかもしれないと思っています。

 

 自分は常に「良い球を投げ続けたいけど上手くいかない」と焦っていました。焦っていたから考えることしかできなかったのかもしれないとも思いますが、それでも考えることは続けるべきだと思っています。更なる高みを目指し、ドン底や地獄を見ている人はそこから這い上がるために今自身が持っている脳みそをフル回転させていきましょう。誰かの指示待ちでは状況は変わりません。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「何年か経てば笑い話」を予定しております。ではまた次回。