その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

声を出すことに能力はいらない

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「声を出すことに能力はいらない」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 小学生の頃、サッカーをしていたのですが、自分が所属していた地元のサッカーチームがなのかサッカーというスポーツがなのか(サッカー批判をしている訳ではありません。サッカー大好きです)は分かりませんが、挨拶やお辞儀をすることについてあまり監督やコーチからうるさく指導された記憶がありません。練習が始まる前に監督やコーチと握手を交わして挨拶をする決まりはありましたが、それ以上のこともそれ以下のこともありませんでした。お恥ずかしいですが、当時は挨拶やお辞儀の大切さも分かっていなかったと思います。

 

 そして中学生になり、サッカー部がなかったので違うスポーツを始めなければという状況でソフトボール部に入り、高校も含め6年間在籍することになるのですが、そこで挨拶やお辞儀もほとんど1から学びました。今では挨拶やお辞儀も自然と当たり前のようにできますが、当時は意識してやっていました。挨拶やお辞儀と話は変わりますが、自分たちのチームは本当に市の中でも弱小チームでした。打てない、投げれない、そもそもルールもほとんど分からない人間が9人集まったど素人の集まりで、試合で初勝利を収めるまで時間がかかりました。その初勝利を収めるまで本当に苦しい思いもたくさんしたのですが、キャプテンが「打てないし投げれないし、ルールもほとんどまだあやふやな状態だけどできることが1つだけある。それは声を出すこと」と言ったことを今でも本当に鮮明に覚えています。すごく感動しました。もうこれは完全に灯台もと暗し状態で、できることはすぐそこに転がっていたのに、それに見向きもせずにいたわけです。その後にキャプテンが「声の大きさだけでは負けないチームになろう」と言ったのを聞いて、技術でどうこうというのは二の次で、チームの誰よりも声を出そうと心に決めました。

 

 なぜ声を出すことや挨拶をすることはなぜ大切なのか。メリットしかないからです。昔、挨拶の大切さは分かっていませんでしたが、元気いっぱいに挨拶をする子どもでした。人見知りでしたが、明るい子であることは周りの人間に分かってもらえていたので、こちらから声をかけなくとも友達はたくさんできました。おかげで周りに誰もおらず1人であるという経験をしたことがありません。部活もポジディブな気持ちで取り組めていたし、練習や試合の雰囲気も確実に明るくなっていました。小さい頃から声を出して絶対に損したことはありません。声を出すことに才能が必要なのかということに関してですが、皆さんお分かりの通り誰でもできることで、才能は必要ないのです。誰にでもできることをせずに、知らず知らずのうちに損をしているなんて虚しくなりませんか?そう自分は思うので、これからも能力が必要なくできることは当たり前にできる人間でありたいと思います。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「本気で怒る時は」を予定しております。ではまた次回。