その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「意見を述べる」と「文句を言う」の違い

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「意見を述べると文句を言うの違い」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 「意見を述べる」と「文句を言う」の意味をはき違えている人間って皆さんの周りにいませんか?過去に「そういう人いた」という経験がある方いませんか?家庭教師の生徒に「英語やりたくない」と言われることが山ほどあります。そこでいつも「何で?」と聞きます。そうするとほとんどの確率で「英語が嫌いだから」と返ってきます。個人的にこの時点で生徒は「文句を言っている」ようにしか聞こえません。筋の通った理由を述べていないからです。だから、「それはワガママにしか過ぎない」ということを伝えます。ここで「英語は苦手だから、得意な数学の成績をもっと伸ばして苦手な英語をカバーしたい」と言ってくれればシフトチェンジをして、「そこまで考えているのなら、数学にもっと時間を割いてみよう」と言えるのです。なので、もう1歩先の発言を待っています。なかなか自分が思っているようなことを言ってくれないとなると、「じゃあどうすべきだと考える?」とヒントを与えます。ただ単に何も考えずに、感情のままに文句を言うだけの人間になって欲しくないからです。将来、大多数の人間を納得させられるよう、意見を述べることができる人間を目指して欲しいと思っています。

 

 中学1年生の時、ソフトボール部に入部しました。その頃練習は週7でありました。当時は今のように「ノー部活デーを週2(平日1日、休日1日)で設けましょう」という規定もなかったので、好きなように部活ができてしまっていました。「平日はまだしも休日1日でも良いから休みが欲しい」と思っていました。それでも、中学1年生で1番上は高校2年生で「休みが欲しいです」等言える訳もなく、週7の練習や試合は休まずに行っていました。「質より量」を信じて当時は我武者羅に練習をしていました。でももう体力的にも限界がきたし、試合では勝てないし正直週7の練習は意味がないのではないかと思っていました。「結果が出ないから」「しんどいから」というのは二の次で「量より質が正しいのではないか?」と思うようになっていきました。休日は8時半から17時まで練習をしていました。そんな中、ある日ミーティングがありました。「週7での練習を辞めたい。量より質が正しいと思い始めている。練習時間を短縮し、その時間集中して効率的にやった方が力もつくのではないかと考えている」と中学生が生意気ですが、言うと「文句を言うんじゃない。ワガママは聞いてられない。上の言うことを聞きなさい」と言われてしまいました。意見が通らなかったというより、これを文句と捉えられられていることが悔しかったです。約1年後には、適度な休養日も設けられたので、良かったし自分の後輩たちにその点に関しては、嫌な思いもさせずに済ませられました。

 

 自分より年上の人たちにも、意見と文句の違いが分からない人たちもいるのだとある意味勉強になりました。でも、自分より年下には違いが分からない人間にはなって欲しくないので、自分が大事に思っている年下の人には伝えていきたいと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「理想は口に出す」を予定しております。ではまた次回。