その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

まだまだ形式主義にとらわれている

 新年あけましておめでとうございます。今年もマイペースにですが投稿していこうと思っていますので、お時間許す方は何卒よろしくお願い致します。

 

 さて、早速だが本題に入ろう。新年一発目はどのようなテーマで1記事を書こうかと考えたのだが、やはり自分はとことん未熟な人間であるため、結局反省点について書くことにした。新年早々暗い内容になるかもしれないため、ここから先は自己責任で読んでいただきたい。

 

 昨年の暮れにまた考え込んでしまうテーマが自分の中にあった。このブログを読み続けていただけている方にはすぐ分かってもらえると思う。昨年6月の教育実習から「体育教師とはどうあるべきか」ということを考えてしまっていた。ずっと頭から離れないテーマであった。卒業論文のテーマにすればよかったと思うほどに考えてしまっている。そこで自分はある2人にLINEで考え込んでいる内容について伝えた。ゼミの教授とゼミ仲間の1人である。

 

 ゼミの教授には「体育教師に限らず大切なことは同じ」、ゼミ仲間には「型にはめて考えすぎなのではないか」という意見をもらった。自分はここで「そうか、いつの間にか自分は形式主義を大事にしてしまっていたのだ」と気づいたのだ。「体育教師とは」と考えること自体が間違っていたのかもしれないと思った。そのようなことを考えている時点で、自分なりの教員としてのあり方がなくなってしまう。体育教師として大切なこともあるだろうが、一教師として大事なことを見失ってはいけないとハッとさせられた。そして、形式主義にとらわれてしまっていたことにも気づいた。「型にはまっていてはおもしろくない」と散々言っておいて、この有様である。本当に申し訳ない。体育教師はどうあるべきかなど考えていても、きっと生徒・保護者から信頼される教員や生徒に寄り添える教員にはなれない。自分のよさを出していく中でどういった教員になれるかが大事なのではないかと気づかされた。

 

 形式主義は綺麗に物事が進む、大勢の足並みを揃えることができるためいいと思われがちだが、自身のよさはおそらく消えてしまう。それだと個性がもったいないと思う。その個性を発揮していかに人生豊かに生きていくかということが大事なことであると思う。だから、自分も自分が思うように教員をやりそこから改善していく流れを作っていきたいと思っている。形式主義にとらわれずに生きていきたい。「こうあるべき」と考えてしまうことが、自分の成長を止めてしまう気もしたためやめたいとも思ったのである。