その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

昔の人はみんなやってきた

 「昔の人はみんなそうしてきた」と言われても、申し訳ないが全く響かない。「だから何だ」としか思えない。反抗したいとかあまのじゃくというような話ではない。単純に今に昔の全てを当てはめようなんて無茶な話なのである。

 

 もうこのブログだけでも散々言っていることなのだが、時代に沿わない大人が多すぎる。昔に通用したことが今も通用すると当たり前のように思っている。時代に沿わないことは他人に迷惑をかけるのはもちろんのこと、自分自身が傷を負うことにもなりかねないのである。若い人がぽかんと口を開けて「この人は何を言っているのだろう」といった表情をしていることに気づかないのかと呆れてしまう。

 

 自分は中高一貫校に通っていた。中学1年生~高校3年生が共に学んでいた。部活も同様だった。6学年、もしくは5学年が一緒に練習するのだ。中学生と高校生の3、4歳のジェネレーションギャップが部員関係を左右する。自分は中学生の頃、声出しというグラウンドの端から端まで声が通れば合格となり練習を終えられる単純なルールの練習があった。しかし、自分の4歳下や5歳下の子たちには通用しないと思う。確かにこの練習はなくなってしまっている。自分は賛成だ。意味がないと思った練習はなくしていけばいいのである。でも、それを「私たちもやってきた練習だから何としてもやれ!」と押しつけるのは本当に害でしかない。自分たちにとってはやってきてよかったと思っているが、今の世代の子たちが少しでも違和感を感じたら捨てればいいのである。自分は自分がやってきたことが全てでないということを意識して後輩と接していた。

 

 「昔はこんなこともさせられた。でも、あなたにはさせてないはずだ。自分の身の回りのことだけに集中していればいいのだからちゃんとやれ」と言われたことがあったのだが、本当に「知らない」としか思えなかった。そんなことを言うのであれば、させたらよかったのだ。しかしきっと、大人の事情でいけないことだということは分かっていたみたいであった。させることは今の時代無理ということなら、それをグチグチ言っているのは違うと思うし、楽をしていると決めつけ嫉妬しているようにしか見えず、可哀想だと同情までしてしまう始末であった。

 

 「あなたより厳しいことをしてきた」「同じようにやらないと許さない」と言われても本当に困るだけである。昔は昔で、今は今である。自分は自分で、他人は他人である。そこを混同してしまうとややこしくなる。昔を生きてきた人が今の時代に適応するのは難しいかもしれないが、そうするしか選択肢はないのだ。それを無視して強行突破しようとしている大人がまだまだたくさんいる。自負があるのかもしれないが、それだけでは生きていけないことを理解する必要がある。