その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

時代に乗り遅れるな

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「時代に乗り遅れるな」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 現在、令和時代で、自分たちは令和時代を生きています。昭和時代のことももはやついさっきのことに感じられる平成時代のことも通用しません。「昭和時代はこれで良かった」「平成時代はあれで許されていた」ということを言っている人は容赦なく「時代のチャンネルを令和に合わせろ!」と言われることでしょう。昭和時代のことはもちろん産まれてもいませんから詳しいことなんて知りませんでしたが、「我慢することが当たり前」「目上の人に従わなければいけない」という時代だったと聞いたことがあります。でも、今はそんなことありません。もちろん、昭和時代を駆け抜けてきた人たちからすれば、戦争という背景がありますから仕方ないと思います。でも、正直生きにくい時代だったのだろうと思います。昭和時代の良かったところもたくさんあったというのは分かっています。その上で、昭和時代の窮屈さというのは祖父母から聞く話からも感じ取れます。

 

 約2か月前でしょうか、東京五輪パラリンピック大会組織委員会森喜朗氏の女性蔑視発言が問題とされました。最終的には責任を取り、辞任されました。昭和時代ではきっとこのような発言が問題視されることはありませんでした。誰も声を上げるようなことでもなかったのかということなのですが、そういうことではないのです。今の時代を生きる国民と同じように不平不満はあったと思います。でも、「そんなことを言ったところで何も起きない」または「どうせそんな声が政治家の方に届くわけがない」と思っていたのでしょう。しかし今は、ネットが普及して誰でも誰にでも声を届けられるようになりました。森氏の女性蔑視発言が公になり、世間に拡散されてから約3日はTwitterのトレンドに入っていました。それだけ注目されているわけです。そして、「そんな感覚で日本のトップポジションにいないで欲しい」という国民の訴えも含まれているのでしょう。昭和時代では何を言っても誰にも何も言われずに、有耶無耶にされてきたことでも今の時代では必ず国民の餌食になります。それに気づかずに昭和時代を引きずり、今の時代を生きている昭和時代で若い頃を過ごしてきた人と自分たちの世代の人間とではかなりの格差が生まれてしまいます。

 

 時代の中でも目まぐるしい変化が起こっているのにも関わらず、2つも前の時代を今の時代に無理矢理適応させようとするのは、かなりの無茶です。必死で汗水垂らして働いてきた、不便な時代の中で必死で子育てしてきたという実績や成果が刻み込まれている時代に誇りを持つことは、素晴らしいことだと思います。自分も平成生まれなので平成時代には思い入れがあります。でも、今は令和時代です。令和時代に乗り遅れないようにしたいと常に思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「イメージ」を予定しております。ではまた次回。