その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

教師がなんだ

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「教師がなんだ」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今でこそ世間から見た学校の先生は、「偉い存在」という認識ではなくなった気がしますが、昔は学校の先生は偉くて、学校の先生の言うことが全てであるくらいに学校の先生のことを誰もが尊敬する、そんな世の中だったと祖父母から聞いたことがあります。このように時代が移り変わっていった理由は、大学に行く親自身も増えて学校の先生より偉い人も多くなったからだろうと思います。個人的には、今の時代の「教師が特別偉い存在ではない」という意見に賛成です。「学校の先生になりたい人が何を言っているんだ」と思われるかもしれませんが、自分は「偉い存在」だと思われたいから学校の先生を目指しているわけではありません。自分の父は学校の先生で、大変な仕事をして自分たち家族を養ってくれているわけですから、もちろん大尊敬しています。でも、皆さんの親御さんもそれぞれの仕事を一生懸命やってくれているでしょうから、自分の父が特別な仕事をしているというわけではないのです。

 

 今の時代にも、「先生の言うことを聞いていれば良いんだ」「先生に文句を言うことは許さない」と言う教師もいます。自分の仕事に誇りを持つことは良いことだと思いますが、自身だけが偉いと思うことは通用しないでしょう。その人たちに「教師がなんだ!」と言いたいです。でも、あるコラムに書いてあったのですが、問題行動を起こす子に「教師の何が偉いんだ!」と言われた担任の先生が、「偉いんだ!誰1人残らずこのクラスのみんなを愛しているからだ!」と叫んだそうです。自分もそれを読んだ時にとても感動し、そういう面では偉いのかもしれないと思いました。そして、その担任の先生の思いが伝わって、以前まで問題行動を起こしていた子どもが問題行動を起こさない子どもになったそうです。どんなことがあっても自身のクラスだからという理由で、愛すことができる教師は素晴らしいと思いました。

 

 教師という存在が特別偉いわけではないですが、出会った子どものことを愛すことができる教師のことは評価されるべきだと思います。今の時代もちろん全員の教師がそういう先生ではありません。残念ながら、教師が子どものいじめに加担したり、体罰問題を起こしたり悲しいニュースは後を絶ちません。自分も恩師という本当に出来の悪い子どもである自分を大事に思ってくれていた教師に出会えたことが人生の財産です。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「自尊感情の保ち方」を予定しております。ではまた次回。