その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

なぜ矛先が子どもへ?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「なぜ矛先が子どもへ?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

  今日は一言でいうと「児童虐待」についてお話したいと思います。児童虐待は大きな日本の教育課題として未だ解決されていない問題です。児童虐待と一言で言っても、今の時代は、「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の4つに分けられています。身体的に傷を負う子どももいれば、精神的に傷を負う子どももいます。そして、親ないし同居人に家庭で虐待を受けている子どもは現在多くいます。ここからは想像でしか話せませんが、自分の虐待を受けている子どものイメージは「大人しい」「自身の意見をはっきり言えない」です。意思表明をしていたら「うるさい」「黙りなさい」という言葉と共に手を挙げられたり、更に精神的苦痛となる言葉を浴びせられたりするかもしれないと思い、それが家庭内だけに留まらず、家庭外でも自身の思いや考えていることを発信できなくなってしまうからです。とても残念な話です。もちろん逆に虐待を受けていることを隠そうとして明るく振る舞う子どももいるでしょう。でもそれって、よく考えてみると子どもが大人を庇っているということです。子どもに大人を庇わせるって情けなくないですか。虐待を受けていても親のことが好きという気持ちが子どもの心の中にはずっとあるわけです。口が悪くなって申し訳ないのですが、そんな親を庇うために子どもは学校の先生に「もしかして虐待を受けているんじゃないの?」と聞かれても、「そんなことはありません。とても優しいお父さん(お母さん)です」と言ってしまうのです。もっと酷いのは親が「誰にも言ってはいけない」と子どもに対して口止めしていることです。ということは親がしてはいけないことと認識しているということです。でも、ここからが自分は問題だと思っているのが子どものためにならないからとかではなく、学校の先生や児童相談所の人に声をかけられるのが面倒くさい、周りの人間からの目が冷たくなると思っているからであるから口止めをしていることです。虐待を周りの人間に知られてはいけない理由が本来のものからズレているわけです。子どもに気を遣わせるなんてありえない話です。

 

 子どもに罪はないのです。それなのに親の都合で八つ当たりのように矛先が子どもに向いてしまっている事実があります。自身より小さくて弱い人間である子どもに矛先を向けたところで、子どもの心身には傷が増え続け親の都合の本質的な部分の解決にな一切なりません。子どもは親に守られる存在です。決して忘れてはいけません。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「上手い話はない」を予定しております。ではまた次回。