その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

本気でぶつかれば子どもも応えてくれる

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「本気でぶつかれば子どもも応えてくれる」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 自分は教師という存在が好きでなかったという話は以前のブログで書いたと思います。それが現在は教師を目指しています。人生は本当に何が起こるか分からないとつくづく思います。自分の父は中学校教諭で母は元養護教諭で最も身近にある職業でしたが、自分と合う先生と出会えなかったのも事実です。その上公務員で会社や企業と違って給料が安定していて、よっぽどのことがない限り解雇にはならない良い仕事であるという世間の評価を知り、もっと自分は教師という存在に嫌悪感を抱くようになっていきました。

 

 そんな自分に本気で真正面からぶつかってくれたのが、恩師だったのです。恩師と出会って思った第一印象は「こんな先生もいるんだ」でした。それはもちろん良い意味です。中学生になって勝手に勉強を卒業してしまったので、やりたいことを新たに見つけなければいけないと頭の隅で焦っていましたが、次にやりたいと思うことは一生やっていくことだろうと分かっていたので、そう思うとなかなかやりたいことが見つからず腐っていた時期でした。腐っていた時期から救ってくれたのは恩師でした。なぜ、恩師に胸打たれたのかというと、本気でぶつかってくれたからです。いつかのブログにも書きましたが、子どもは敏感で鋭いので教師が本気の言動かどうかなんて当たり前に分かるし、伝わるのです。恩師に担任をしてもらった1年間は、恩師が本気でぶつかってくれる分応えたいと思っていました。

 

 中学3年生の時に本気で教師がぶつかれば、子どももそれに応えようと必死になるということが分かりました。自分が6年前その子どもでした。だから良く分かります。本当に腐っていた時期だったので、恩師が本気でなく恩師自身のためだったり学校のためだったりするのであれば、全く恩師の言葉かけには耳を傾けていなかったと思います。だから、本気か否かということが問題です。恩師が本当のところどう思っていたのかは分かりませんが、「立ち直らせたい」という気持ちが伝わってきました。本当にありがたかったです。自分も何とかしなければと思っていたので、助けてもらえて本当に良かったです。そんな先生と出会えたことが自分の財産です。子どもの中に眠っているものが、起きる素敵な瞬間に携われたら教師としては最高でしょう。自分も子どもと本気でぶつかれる教師になりたいと思います。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「目線を合わせる」を予定しております。ではまた次回。