その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

学校<塾

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「学校<塾」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今の時代、昔の時代と違って学校の存在が雑に扱われているような気がします。祖父母は「当時はピアノがある場所と言えば学校だった」「学校という場所はありがたいものだった」と言っていました。その話を聞いて勉学に励めるとっておきの場所が学校であったことがひしひしと伝わって来ました。今では、「学校」はないがしろにされ、新たに「塾」という学習場所が出現し、学校より塾を大事にしたり優先したりしているのが現状です。子どももそうだし親もそうです。学校に行けることや学校に行かせることが当たり前だと思わせているのは、紛れもなく日本政府です。義務教育と呼んで子どもは小学6年間、中学3年間の計9年間は教育を受けなければいけない、親は教育を受けさせなければならないということを決めているのも日本政府なわけです。義務となってしなうともちろん学校に通えていることに対して感謝の気持ちなんて芽生えない気持ちも分かります。それに加えて「学歴社会」である現代において「学校へ通っていないと何も始まらない」といった考えが親にあり、その考えが子世代にそのまま降りてきているから親も子も一緒になって学校という存在が当たり前になってきているのは皆さんも気づいていることなのではないでしょうか。だからと言って、塾へ通うことも当たり前になってきているのが事実です。約40年前に塾という存在があったのかは知りませんが、「塾へ通っているんだ!」と言うと「すごい!」「羨ましい!」という声が上がったかもしれません。でも、現在では何の自慢にもなりません。それは大多数の人間が塾へ通っているからです。だから、塾へ通えていることに感謝している子どもがどれほどいるかということなのですが、自分はその逆で「学校で勉強しなくても塾でできるからいいや」という子どもでした。中学受験をするために入った塾で勉強はすれば良いと思っていました。だから、学校の授業は極端に言えば座っているだけでした。学校で出される宿題は作業でした。「学校でしか勉強ができない」という時代ではない今の時代にのまれてしまっていた自分が情けないです。反省しております。

 

 正直、小学生の頃の自分は塾の存在を大事にしていました。自分を庇うつもりはありませんが、自分と同じような子どもも少なからずいるはずです。でも自分はそれは違っていると今は思えます。学校での活動を精一杯やってから塾で更に学んでいくスタイルが望ましいと個人的には思います。でも、塾の存在が学校の存在より大きい今の世の中が変わるのは難しいことだと思っています。そうなると「学校って必要なの?」という疑問が出てくると思うのですが、それはまた別のブログで書きたいと思っています。そのブログ公開までお待ちください。教員を目指す自分からすれば学校という最高の場所を大事にしていただきたいという思いでいっぱいです。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「変わっているは褒め言葉」を予定しております。ではまた次回。