その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

大怪我から学んだこと

 人生において自分の中の人生設計にはなかった大きな出来事があると、深く人生の在り方を考えるようになる。これは自分だけなのかそうでないのかは分からない。人生について考えるとともに学ぶことも多くあった。人生上手くばかりいかないのも、上手くばかりいかない方がいいという大人の言い分も最近分かってきた。人生設計外のことが起こると本当に驚きが隠せなくなる。「今!?」「何で自分が!?」「嘘…」といったことが自分にも何度かあった。自分に大した力はないが、周りの環境に恵まれ22年間あまり不自由なことはなかった。

 

 しかし、悲劇は今年の夏に起こった。それこそ「今!?」と思った。「右アキレス腱を断裂するなんて何で今なのだ」と運命を憎んだ。でも、大怪我から約半年が経って冷静に思えることが増えた。自分は怪我をしてよかったと思うことも多くなったのだ。

 

 正直、怪我をしてからしばらくは何も考えることができなかった。大学4年生の就職もまだ決まっていない状況で、自分の人生はどうなってしまうのだろうと不安でいっぱいだった。でも、その中で療養して前へ進むしかない。病院以外外へ出られない生活が3ヶ月程続いた。手術をしてくださった主治医、リハビリの先生、そして家族の支えがあり先月の教育実習にも間に合い、今では日常生活には全く支障がないほどまでに復帰できた。そうして自分にも余裕が出てきてやっと見えてくるものというものがある。これもまた気づきだった。

 

 先月の特別支援学校への教育実習では、担当はしていないが肢体不自由の生徒と接することがあった。言葉も発せないし、四六時中車いす生活を余儀なくされている生徒だったが、下肢が不自由で他人にやって欲しいことは何となく自分の経験から分かった。その生徒から笑顔がこぼれ通じ合えたと感じられた喜びは今でも忘れていない。肢体不自由の生徒はこれからもずっと自分自身の体と向き合っていかなければいけない。しかし、自分は治る怪我である。この差は大変大きいものだと実際に生徒と接してみて分かった。同情だけでは仕事にはならない。そんなことは分かっているつもりであるため、その先の支援をできたらと自分は特別支援学校教員を目指すことを決めた。

 

 1人で行動できるようになって、電車に乗る機会も随分と増えた。大学へ行く、友だちと遊ぶなど全て電車に乗ることが必須である。そうすると、松葉杖をついている人も車いすに乗っている人も随分といるのである。自分の経験からそういった人が目に入るだけなのかもしれないが、意外と多く見かける。かつての自分を見ているようで、辛かった日々を思い出して胸が痛くなる。それでも、エレベーターを優先して利用できるように配慮したり、そういった人がいれば優先座席でなくても座らないように心がけたりすることが大事であることが身をもって分かるようになった。他人の痛みを分かることのできる人間に少しでも近づくことができたと思っている。簡単に言えば、ハンディを抱えている人々の見方が変わったということである。

 

 だから、大怪我も無駄にはなっていない。中学校の保健体育教員をストレートに目指すことももちろん何もなければ自分も何も思わずに、夢を叶えることに必死になってまた違う壁にぶつかって学んでいくのだろうとは思うが、自分は特別支援学校の教員を目指すようになった人生もありだと自分では思っている。負け惜しみでも妥協でもない。実際に特別支援学校の教育実習に行ってみて、特別支援学校で学ぶ児童生徒と関わっていたいと強く思うようになった。怪我したことを生かしていきたいと思っている。