その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

進路が決まった瞬間の話

 昨年の秋から冬にかけて少し肌寒くなってきていた頃のこと。昨年という舞台の幕が閉じそうな頃に吉報が自分のスマホに入ってきた。本当にその吉報は突然舞い込んできた。正直、驚きしかなかった。この瞬間のことはこの先忘れることはないと自分は思う。

 

 昨年の秋に教育実習があった。人生二度目の教育実習だった。一度目の教育実習で複雑な感情に襲われた後の教育実習であったため、より一層楽しいかつ学びのある教育実習となった。そんな充実した教育実習が終わろうとしていた最終日2日前。自分は研究授業の実施日であった。昨年6月に右アキレス腱断裂という大怪我をしたのにも関わらず、専門教科の体育で実施させていただき、お褒めの言葉も課題点も多くいただきとても勉強になった研究授業で終えられることに本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。その研究授業を終え、たくさんの見に来てくださった先生方からも「よかったよ」との一言をいただけ、とてもホッとして「やはり特別支援学校でお世話になりたい」と強く思った。そう思っていた日のことだった。家族にも研究授業を終えどんな授業をしたのかを話そうと思っていたが、それどころではなくなったのだ。

 

 勤務時間が終わりいつも通り実習生控え室へ戻り、着替えをしていた。早々に着替えが終わり自分以外にも実習生がいたため、彼女たちの着替えを待っていた。その際に、スマホを開いた。すると、知らない電話番号から着信があった。誰だろうと思い、即座にネット検索をした。すると、そこには「特別支援学校」の文字。1番最初に思ったのが、「何かやったのか」ということであった。心当たりはもちろんないが、こういう時は悪い話を想像してしまうものだ。しかも、大学の周辺の地域でも地元の町からでもなく、全く縁もゆかりもないところからの電話だったため、余計に驚いた。恐る恐るリダイヤルした。大学名と学年、名前を伝えた。きっと事務の先生が電話に出てくださったのだろう。しかし、その事務の先生は何のことか全く分かっていなかった様子だったが、すぐに校長先生に代わってくださった。ここから直接校長先生と話すこととなる。

 

 まず、校長先生と直接話すなんてとても緊張した。校長先生からこんな一大学生に直々に電話があるなんてやはり日常的なことではない。しかし、どんどん状況は変わっていく。校長先生は自分が試験が上手くいかなかったこともどの校種の教員免許を持っていてどこが地元なのかということを全て知った上で電話をくださっていた。結論、「ぜひうちで尽力して欲しい」という本当にありがたい話だった。とてもとても驚いた。驚きすぎて「ぜひ!」という返事をしたが、校長先生は冷静で「地元から遠いし、まだ声をかけている時期が早いからゆっくり考えてみて欲しい」と言ってくださった。お言葉に甘えて、3日ほど猶予をいただいた。

 

 帰ってからすぐに家族に相談した。研究授業のことは未だに話したことはない。家族ももちろんすごく驚いていた。家族で話し合った結果、校長先生が言ってくださったようにその時お世話になっていた教育実習校の校長先生に空きがあるかを聞いてみてから、校長先生にお返事するということになった。だから、もし空きがないとなればお世話になりたい意を電話でお伝えすることにした。幸い、教育実習中にお電話をいただいていたため、教育実習最終日となる次の日の朝、校長先生に直接お聞きすることができた。しかし、空きは現段階では何とも言えないという返事であった。それもそのはず、まだ時期が早すぎた。このまま空きを地元で待っていて空きがないかもしれないのなら、思い切って地元を出てまた都会の学校であるため新しい教育を経験したいという思いから来月からお世話になる学校で勤めさせていただくことを決めた。校長先生は電話越しにとても喜んでくださった。その2週間後くらいに面接を受けさせていただき、無事任用を決めていただいた。

 

 このまま自分の人生はどうなるのかと確かに多少の不安はあった。しかし、奇跡的に年内に就職が決まりとてもありがたかった。何とか憧れの学校現場へ春から就職できることがとても喜ばしい。一旦は家族を安心させることもできた。しかし、自分の挑戦は続いている。感謝の気持ちを忘れず謙虚な姿勢で試験に向けて全力を尽くしていきたい。