その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「感覚」で分かる

 「時代の変化は肌で感じられるもの」だと50代の自分の尊敬する教育実習で大変お世話になった指導教官が仰っていたことで、希望の光が見えた。年齢というものさしで測ることはよくないことなのだが、自分の経験上年上であればある人ほど融通が利かなかったり、頭が固かったりすると思っている。若い人でも時代に沿えない人もいるが、歳をある程度重ねている人で時代に沿って考えることができる人もいる。何だかんだで「時代に沿わなければいけない」と思っていてもなかなか自分自身が生きてきた習慣や雰囲気などを捨てて、新しい考えに切り替えるというのは難しいのだろうと思う。だからこそ、自然にできている指導教官を本当に尊敬する。

 

 自分は正直に気持ちを指導教官にぶつけてみた。「はっきり言って、昭和の時代で生きてきて、考え方を常に新しくできることが本当にすごいと思います」と偉そうながら言った。そうすると、「うーん、そうなのかな。でも、それは肌で感じられることだから」と当たり前のように言っていたし、全くすごいことであると捉えていなかった。そういったところもすごいと思ったところだ。指導教官より若い先生とも自分は教育実習で関わったが、感覚というものが鈍いのか分からないけれども気づいていないことに情けないと思う。まだ教師にもなっていない自分が言うのは生意気なのだが、肌で感じられないにしろ、感じられていないのにも関わらず偉そうにしたり周りから「こんな時代になっている」と教えてもらっても「あああそうですか。それが何か」といった感じで聞く耳を持たなかったりするのはどうかと思う。それで迷惑するのは、子どもたちと自分のような未来の教師である。そんなことでバチバチやり合っていても何もいいことはない。

 

 自分は平成生まれで、現在の時代は令和である。自分ですら時代とズレている感覚を持ってしまっているのかもしれない。だから、昭和で生きてきて令和の時代で生きていくのはいわゆる「生きづらさ」があるというのは分かる。しかし、時代の変化を無視して生きていくのは絶対にやってはいけない。勘のいい人、アンテナを常に張っている指導教官だからこそ分かるのだろう。やはり時代に適応する必要性をよく分かっているのだろうし、時代に乗り遅れないようにしなければいけないという使命感もきっと感じている。そういった先生から物事を教わりたいと自分は思う。そうでないと、相談ができないし信頼関係を築けない。自分がもし子どもだったら何でも受け止めてくれそうな先生に指導教官が映る。そういった安心感を与えることが教師への信頼に繋がっていくのだろう。